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宮古・池間島旅行記 2005.9.8〜9.11
6 終章 台風一過
台風15号直撃
翌日、雨の音で目が覚めた。
わたしが泊まっていたのは、宮古島の久松にある民家を一軒そのまま借りる、いわゆるレンタルハウスというやつ。借りたのはコンクリート造りの古い民家で、なかなか風情があっていい。
すだれをあげて降りしきる雨を眺めていると携帯が鳴った。
「もしもし」
宿のオーナーからだった。
「じつは今日の午後、台風15号が直撃するんですよ。それで雨戸を設置したり、いろいろ準備しなきゃならないので、これからそちらに行きますね」
これにはびっくりしてしまった。
この家はテレビがないのでまったく情報がはいらないんだよね。
それから30分ほどしてオーナーがやって来た。
話はこうだ。午後から宮古島全域が暴風圏にはいる。この家は北側の窓にしか雨戸がないので、突風が吹いた場合、窓ガラスが割れる危険が大きいし、停電する可能性も高い。それに台風の進路はなかなか予想がつかない面もあるので、何日も居座る可能性もある。そうなった場合、わたしたちはまったく身動きがとれなくなってしまうので、自家発電設備のある安全なホテルに避難して欲しいというんだよね。
「かすった程度ならいいいんだけど、それでも電柱が何百本も倒れたり、車が飛ばされることもあるしね。暴風圏にはいったら、まず外に出られないし、ホテルならいちおうひと通りそろうから安心だものね。直撃となると、わたしたちも、けっこう怖いものがあるのよ」
そういうことなら仕方なかった。
このレンタルハウスはいるだけでほっとするっていうか、すごく気に入っていたんだけど、オーナーの気遣いもよくわかる。それにしても、東京とは台風の強さがまったく違うことと、島のひとの心構えも違うんだなあと妙に感心してしまった。
そんなわけで、お昼前にアトール宮古エメラルドホテルに移動することになった。
それにしてもリゾートホテルに泊まることになるとは思わなかった。アトール宮古はなかなか快適だけど、難をいうと食事がいまひとつなんだよね。だってせっかく宮古に来ているのに、高級中華料理や和牛の石焼なんて食べたくないよ(爆)。やっぱりチャンプルーとかグルクンのから揚げが食べたい。
お昼に食べた宮古そば
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というわけで、数少ないお料理の写真を披露。
これは池間大橋の売店海未来(カイミール)で食べた宮古そば。
かつおだしかな? なかなか美味しかった♪
ビアガーデンでの晩御飯
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こちらは昨夜、平良市内のビアガーデンで食べた晩御飯。
手前からお肉とお豆腐の煮込んだもの、ヘチマの味噌煮、お刺身の盛り合わせ、左奥はほとんど食べちゃったけど海ぶどう。
へちまがすごく美味しかった。
むかし新宿の沖縄料理のお店でへちまの味噌煮を食べたことがあって、それがすごく美味しかったんだよね。ところが沖縄に行くたびにへちまを食べさせてくれる店をさがすんだけど、季節が悪いのか、探し方がへたなのか、どこに行っても見つけることができなかったんだよね。
今回やっと本場のへちまの味噌煮を食べられて感激。
さて夕方になる頃には宮古島はすっぽり暴風圏にはいった。
窓の外では雨が横殴りに降っているし、強風で分厚い窓ガラスがドンドンと音を立てている。台風情報をみたくてテレビをつけてもレギュラー番組の横にテロップが流れる程度で、意外なほどニュースになっていない。いや、たまたまテレビをつけた時間帯がわるくてニュース番組が見られなかっただけかもしれないけどね。
そんなわけで、それほどたいした被害はなさそうだなあと思いつつ、のほほんとホテルライフを楽しんでいたわけ。ところが後から大阪の友人に聞いた話では、むこうではけっこう台風15号関連のニュースをやっていたらしくて、宮古島で木が折れたり車が立ち往生したり、いろいろ大変だったという話を聞いてびっくり。たしかに大阪や関西では、台風がくると特番を組んで各地の台風情報を一日中流しているけど、それにしても現地にいたわたしより大阪の友人のほうが詳しい状況を知っているのっていったい・・・・・(爆)。
漲水御嶽
翌朝、空はすっかり晴れあがっていた。
まだ台風の風が少し残っているけど、飛行機も通常どおり運航していると聞いて、ほっとひと安心。
この日の夕方、宮古発の飛行機で東京に帰る。
ゆっくりと朝食をすませ、平良漁港のすぐそばにある漲水御嶽(はりみずうたき)に行くことにした。
漲水御嶽のガジュマルの木
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漲水御嶽には宮古島の島立ての神話がある。
むかし天地定まらず、青海原には波が揺らぐばかりで島の形もない頃、アマノテダの命を受けたヤグミノカミは天の岩柱を折り、これを海に投げ入れ宮古島を造った。次にコイツノとコイタマの二神が赤土と黒土をもって八十神百神をつれて天の夜虹橋を渡り天下った。そしてコイツノとコイタマの二神は漲水天久崎に庵をむすび陰陽二人の神を生む。(以下省略)
その後、子孫が繁栄するという話なんだよね。
この話を読む限りでは、宮古島の歴史は漲水御嶽から始まったような気がするよね。ところがおもしろいのは、宮古の始まりは池間島のウハルズなんだよね。
どういうことかっていうと、むかし女神が池間の森に降臨して木の実を食べながら生活していた。ところがある晩、激しい嵐にあったので、しかたなく木のうろにはいって休んでいると、木の上を大きな鳥が激しく飛び交っている音が聞こえた。翌朝、木の根元に12個の卵が置いてあった。
女神は鳥たちの卵かもしれないと思って枯葉で卵を隠しておいた。何日かして、もういちどその場所に来てみると、12羽の雛が孵り、宮古の12の森の方角に飛んでいって、それぞれの御嶽の神様になった。
女神はこれらの12神の母親として昇天し、ネノハンマティダとなった。12神のうちの長女はウラセリクタメナウ(生命を司る最高女神)として、宮古郡民の生命を司る最高神として、子の方(北)に位置する池間島のウハルズで祭られるようになった。これがウハルズに伝わる神話なんだよね。
さて漲水御嶽の横の道路に車をとめて鳥居をくぐると、赤レンガに白いしっくいを塗った御嶽の建物が見えた。わたしたちが行ったときは、ちょうどどこかのご家族が拝殿の前で手を合わせていた。
敷地内にはガジュマルの木が大きく枝を広げ、とても静かな空気が流れていた。
漲水御嶽で猫と一緒に 心から感謝♪
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ふと見ると、拝殿のそばに猫が寝そべっていた。
頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。
かわいいなあ。
わたしたちはしばらく猫と遊んでからその場をあとにした。
なんだかあっというまの四日間だった。
台風の直撃も受けるし(笑)。
ミャークヅツに参加したり、アマウナハーブを見ながら思ったのは、連綿と続く自然の営みのすごさだった。わたしたち人間の文明が繁栄と崩壊を繰り返してゆくなかで、地球はそれこそ何万年という気の遠くなるような時間をかけて、地中深くでアマウナハーブを造っていたんだよね。
琉球列島はもとより本州もまた、1万数千年前の氷河期の終わり頃、活発な地殻変動を繰り返し、地形が大きく変わっていった。激動の時代に多くの文明が滅び、そしてまた生き残った人間たちは一から文明を作り直した。いま生きているわたしたちは、ひとり残らずかれらの末裔なんだよね。
自然のもつ悠久の営みのなかで、さまざまなものが生まれ、また死んでゆく。祖先から受け継がれてきた命の積み重ねがミャークヅツのような祭りであり、祈りなんだろう。そのつながりを感じて生きるとき、ひとはかぎりなく強くなれるし、また底抜けに明るくなれる。
それってすごいことだよね。
わたしたちには何があっても生きぬく力がある。
池間島のひとたちの底抜けに明るい笑顔のなかに、そうした人間の強さと優しさを見たような気がした。
アマウナハーブを案内してくれた仲間さん、ミャークヅツでミルク酒をついでくれた微笑さん、おもしろい話で笑わせてくれた伊計さん、一本釣りの話をしてくれた伊良波さん、貝塚や遠見台を案内してくれた長嶺さん、気持ちよくわたしたちを受け入れてくれた池間島の方たち、そして二日間にわたってずっとわたしたちに付き合ってくれた新崎さん、ほんとうにありがとうございました。
あらためてこの場で、お礼申し上げます。
関連サイト
Ikema Island 池間島のホームページ
参考資料
池間民族屋号集 伊良波盛男 編著
文責:望月すみえ
写真:友人K
2005.9.20 (了)

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