7/24 2003 スサノオノミコト


                                  





 

ファーストコンタクト

それは ひとりひとりの心の中で行われる
不思議な信頼とあたたかさをもって
それぞれの心の中に語りかけてくるであろう
恐れることはない
それまでの常識や知識が吹き飛ぶほどの体験かもしれぬ
自分自身の心を疑うかも知れぬ
そんなときは 素に戻れ
ただ 聞こえてくるその声にじっと耳を傾けよ
そして 自分の心を振り返れ
そこに ただ静かな愛があるならば
語りかけてくる者の心を感じることができるであろう
  
 
                                            7/24 2003 クリエ翁
ひしぶりじゃな
そろそろ始まる頃じゃと思った
この者が力を貸せとうるさいのでな
そうじゃな・・・
そなたらはファーストコンタクトというのは「未知との遭遇」みたいな感じで行われると思っているじゃろ
そうじゃないんじゃよ
はじめは個人個人の心のなかに、直接話しかけるところから始まるんじゃ
そりゃ びっくりするじゃろ
いきなり声が聞こえるとか、なんらかの思いがわきあがってくるとかするんじゃからな
するとたいていの者は自分は気が狂ったんじゃないかと思う
今までの社会常識からいって当然の反応じゃな
だが間違えてはならんよ
科学は常に進歩している
百年前の常識が今じゃおどろくべき非常識なんじゃよ

もっとも、たとえば上空にUFOの大群が現れるとか
そういう形のファーストコンタクトだったら、少なくとも自分は気が狂ったんじゃないかとか、
そういった不安からは逃れることができる
だが ここが落とし穴なんじゃよ
集団での遭遇は、一種の集団幻覚と紙一重なんじゃよ
これは個々の判断を狂わすマインドコントロールと非常によく似ている
自分で考えなくていいからじゃ
じゃが、そこに最大の危険があるんじゃよ
それは新しい時代の流れとは逆行するんじゃよ
わかるかの?
これからの時代は個の判断に委ねられる
ひとびとが指導者に従う時代は終わったんじゃよ
それは自由であると同時に厳しい時代でもある
個々の資質が試されるからじゃ

ひとつ 判断のポイントを教えておこうかの
それは、その声が信頼できるかどうかなんじゃよ
たとえば自尊心をくすぐる言い回しや、さも特別なことが起こったかのように言ってきたら
その声の主は われわれの仲間ではないと思ってよい
むしろ警戒すべき相手じゃな
われわれは決してそなたらに強制したりせんよ
ただ 扉をあけるだけじゃ
その扉の中に入るかどうかの判断は、そなたらひとりひとりに委ねられる

わかるかの?
己の中に誘惑を受け入れたい心があるから判断を誤るんじゃよ
だから日頃から心を磨けと言っておる
自分自身の心の動きを冷静に見つめれば
それが真に友好的な相手なのか
信頼にたる相手なのか 瞬時に判断できるはずじゃ
語りかけてくる者は己の鏡でもあるんじゃよ
もしも 深い愛と信頼を感じるのであれば
迷わずその心を受け入れればよい

ここで多くのものは葛藤するじゃろうな
自分は正常なんだろうかとな
今までの常識では考えられない事態が起これば誰でも一度はそう思う
かのガリレオもそうじゃったよ
ここで真の意味で自分が試される

わかるかの?
自分が何を信じているのか?
本当に自分自身の心を信じることができるのか?
世間常識という狭い地球の価値観に囚われていないか?
最終的には自分をどこまで信じることができるかという一点に行き着くはずじゃ
これは人生全般にも言えることなんじゃよ
今この瞬間の自分が心から信じている事を実践できるかどうか
それはきみたちのこれまでの生き方そのものにかかっているというわけじゃ
なんだかしゃべりすぎたようじゃの
まあいい
いずれまた会うときが来よう
健闘を祈る
さらばじゃ