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Diary 9  気ままにエッセイ (2004 4月〜)


5月13日 息抜きクイズ
さて今日はちょっと生き抜きにクイズでもやってみてください。
=クイズ=
4本の直線を使って、四角い形にならべた9つの点のすべてを一筆書きで結んでください。同じところを2度通ることはできません。どこからスタートしてOKです。

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4月24日 北海道旅行記 その2 支笏湖
さて無事法事も終わって、親戚一同と一緒にお墓参りにいくことにした。
狭い車内はお墓の話で盛り上がっている。
「わたしは散骨してもらおうと思っているの」
叔母がそう言った。
「へえ・・・・散骨ってどこにでもできるものじゃないんでしょ?」
身近に散骨して欲しいひとがいるとは思わなかった。
「灰になったら山にまいて欲しいなあ」
「山ねえ。そういや、おばちゃんは山が好きだもんね」
父がハンドルを握りながらこっちを向く。
「順番的にはおれが次にここ(お墓)に入ることになるから、しっかり場所を覚えておけよ」
「いや、兄さんはけっこうしぶとく生きるタイプだよ」
70歳を超えた父や叔母たちにとってお墓というのはごく身近な存在なんだろうな。
ふと三年前に祖父が亡くなったときのことを思い出した。

子供の頃から祖父はずいぶんわたしをかわいがってくれた。初孫だったせいもあったのだろう。祖父の家は当時わたしが住んでいた家から子供の足で10分ほど歩いたところにあって、よくひとりで遊びにいった。
家の裏手はすぐ海だった。今は防波堤がわりの土手のすぐ手前まで住宅地になってしまったが、当時は家の裏手はただの野原で、ところどころにちいさなトウキビ畑があった。そのトウキビ畑を横切って自分よりずっと背の高い草原を抜け、土手を駆け上るとそこはもう海だった。わたしは日長い一日、よく砂浜で波と戯れて遊んだものだった。
その頃、祖父の家の庭にはちいさなニワトリ小屋があって、近所の猫がよくニワトリを狙って小屋のそばをうろうろしていた。そのたびに祖父は大きな声で猫を追っ払っていたのを覚えている。
おとなになってからはめったに北海道に帰らなくなっていた。祖父はちょくちょく東京に遊びに来ていたけれど。
そんな折、祖父の訃報を聞いて何十年かぶりで生まれ故郷の土を踏んだのが三年前だった。

葬儀はとどこおりなく行われた。
あの時もう二度と祖父の笑顔を見ることのできない寂しさと同時に、言葉にうまく表現できない静かな安堵感があった。
96歳という年齢がそう感じさせたのかもしれない。
――じゅうぶん生きた。
その思いが祖父の死をすんなり受け入れさせたのだろう。
葬儀の日は朝から雪が降っていた。
午前中、雪はいったん止んだが、火葬場に向かう頃になってまた降りだした。バスの窓からどこもかしこも真っ白い雪に埋まった風景を見ながら、ふと思った。
この土地で生きてきた祖父の体には土地の気がしみこんでいる。肉体が土に還り、煙となって大気と同化し、やがて祖父は土地そのものとなってゆく。春がきて雪が溶ける頃には、フキノトウやたんぽぽの小さな命をはぐくむ力となるのだろう。
土地というのはすごい力をもっているんだなあと思う。
親しい肉親の死すらも受け入れ、残された人間たちの思いを浄化し、祈りに変える力をもっている。
人間が生まれ育った故郷を思うのは、無意識のうちに自分の体のなかに土地の気が存在していることを知っているからなのかもしれない。

さてお墓参りをすますと、わたしたちは支笏湖に向かった。
支笏湖040418
支笏湖は苫小牧の北西に位置する日本一の透明度を誇るカルデラ湖で、面積77.3平方キロメートル 、周囲40km、平均水深259mで、これは日本第二位の深さだ。周囲は樽前山(1,038m),恵庭岳(1,319m)、 風不死岳(1103m)などの山々に囲まれている。
そのせいかどうか、峠道の両側には真っ白い雪が残っている

湖畔に下りると風が冷たい。
「ここの湖底はすり鉢状になっていて、枯れ木がごっそりと沈んでいるんだよ」
「火山の噴火でできた湖だから?」
わたしが振り返ると叔母は真顔で言った。
「ここはでるのよ」
「でるって・・・・?」
「ふつう水死した場合、ある程度の時間がたつと死体が上がってくるでしょう?ところが支笏湖の場合は死体が浮き上がろうとすると、湖底にある無数の枯れ木にひっかかってしまって、死体が上がらないことが多いのよ」
「そうそう」
従姉のJちゃんがにやっと笑う。
「中学のとき、ここでキャンプをしたんだけど、こわかったよ。夜中にテントの中で目を覚ますと足音が近づいてくるのよ。みんな怖くて声も出なくて・・・・・。その足音がテントの前でピタっと止まったの。中にひとり勇気のある子がいて、その子が思い切ってテントの外をのぞいたら誰もいなかったの。で、テントの前には雨も降ってないのに水溜りがあってさ。しばらくはその話で持ちきりだったよお」
う〜ん・・・・実際にその場に自分がいたわけじゃないから何とも言えないけど、でも真夜中の湖畔は真っ暗だし、たしかに怖いかも。
透明な水と雪をかぶった山に囲まれた湖は神秘的なだけにかえってリアルだと思った。そういえば、ここはあまりにも透明度が高いために生息している魚の種類が多くないという話を聞いた。清水魚住まずとは、まさにここのことかな。

「枯れ木といえば、きのう勇払の裏の浜に下りてみた?」
「ううん」
勇払に着いたのは昨日の夜だったし、今朝はしっかり寝坊して慌てて実家を飛び出したぐらいだから、さすがに浜に下りる時間はなかったのだ。
「すごいことになってるよ」
「?」
「流木が大量に流れ着いているの。自由に持っていってくださいって広報に載せてもちっとも減らなくて、日当を出して若いひとを雇って片付けているらしいよ」
「そうそう。港のそばの店には流木を使った果物籠とか展示してあるね。うまいこと考えたなあと思った」
Y子叔母さんもうなづいた。
「なんで大量の流木が流れ着いたの???」
「十勝沖地震で山の木が大量にやられたのよ。こないだ十勝に行って見てきたけど、すごい被害が出ているよ」
「そうだったんだ」
これにはびっくりしてしまった。
東京にいると、そういったニュースはあまり伝わってこない。地震による直接の死者がほとんど出なかったことから、マグニチュードのわりに被害が少ないことに内心驚いていたぐらいだった。

わたしたちはしばらく湖畔を散策してからホテルに戻った。
夜はお決まりの宴会だった。
まあ・・・・なんていうか、たまにはいいかな。料理も美味しかったし。
最後に、ここの温泉はなかなかよかったです。重曹泉に入ったのははじめてだったけど、入っていると手がぬるぬるしてきて、なんだかお肌がスベスベになったような気がする(笑)。

というわけで、二泊三日の北海道旅行でした。

4月21日 北海道旅行記 その1 勇払 ('04 4/17〜4/19)
先日二泊三日で北海道に行ってきた。
といっても純粋な観光旅行ではなく、わたしの父方の親戚の法事である。
もう十数回忌なので法事といっても悲哀感はまったくなくて、ひさびさに親戚が集まる理由付けみたいなものなのでいたって気楽なものだ。

五月中旬の陽気の東京をあとにして、北海道の空の玄関口である新千歳空港についたのは17日の夕方だった。
空港のガラス張りのドアの外に出ると、冷たい北風が肌を刺す。さすがに今の時期は東京と北海道では一ヶ月ぐらい気温が違う。わたしはあわててオレンジ色の旅行バックから真冬のセーターを取り出した。
日産の営業所に寄ってレンタカーを借りると勇払に向かう。

千歳から36号線をひたすら走る。
国道の両側にはまだ茶色い木肌のままの森がどこまでも続く。ときおり原野の枯れ草の隙間から点々と小さな沼が見える。ゆっくりと夕日が落ちてゆくにつれて、次第にあたりは濃い闇がたれこめてゆく。
勇払は苫小牧の東に位置する静かな町だ。わたしはこの町で生まれた。たしか5才までここに住んでいたと思う。
北海道というと豊かな自然と美味しい食べ物を想像すると思うけど、わたしは果てしなく続く原野と地平線のイメージが強い。それはこの町の景色とも無縁じゃないと思う。
江戸時代には交易の町としてそれなりに賑わったらしいが、今は製紙工場の高い煙突と町のすぐ西に隣接する苫小牧港沿いに点在する無機質な石油コンビナート、そして広大な勇払原野があるだけで、なんともいえず寂れた雰囲気が漂っている。
ひさしぶりの北海道ということもあってけっこう道に迷った。
結局母の住む勇払の実家に着く頃にはあたりは真っ暗になっていた。

翌日は苫小牧で法事があるので朝早く家を出た。
じつは実家のすぐ近所に美味しいと評判のラーメン屋さんがある。
「とりよし」というお店でテレビでも紹介されたりしてけっこう有名らしいんだけど、いかんせん昼食時の2時間ぐらいしか営業していないので、いつ行っても満員でいまだに食べたことがない。
今回も食べられなかったな〜。
時計を見ると電車の時間にはまだずいぶん余裕がある。
(よかった。ゆっくりしていける)

わたしは勇払駅のホーム脇の地下道を抜けて線路の反対側にでた。
そこからいくらも歩かない場所に恵比寿神社がある。
恵比寿神社の歴史は北海道では比較的古い。
もともと勇払一帯は勇払川の河口に広がる湿地帯にできた集落だった。そのためあちこちに沼が点在し、江戸時代初期の頃から水神である弁天様と龍神様を祀っていたらしい。その後明治政府の通達により弁天社と龍神社が蛭子神社へと合祀され、さらに1952(昭和27)年、現在の名称である恵比寿神社に変更されたという経緯がある。

境内に入ったとたん、足元からほんわかと暖かい弁天様の波動が入ってくる。

――おひさしぶりです

正確に言うと弁天様はエネルギー体なので東京と北海道という距離なんてまったく関係がない。いつでも会いたいと思いさえすれば会うことができるんだけど、人間としてこの土地に足を踏み入れるのは3年ぶりなので、ついこんな人間くさい挨拶をしてしまった。

さて恵比寿神社をあとにして駅に向かう。


勇払駅は無人駅だ。荒野のど真ん中にぽつんと待合室があって、そこから10メートルぐらい離れたところに駅のホームがある。
朝夕の通勤・通学の時間だけ電車が停まるのかな。もっとも社会人は車で移動するひとがほとんどだから、電車に乗るのは学生ぐらいなものかもしれない。
なんたって広大な土地なのに人口はたった3000人ぐらいしかいないんだもんね。
妙にノスタルジックな気分になりながら電車に乗り込み、今日の目的地である苫小牧へ移動することにした。

(つづく)





4月8日 宮島・厳島神社旅行記('04 4/1〜4/2 一泊二日)
いつものことだが、直感は突然やってくる。
深夜の瞑想中に不意に浮かんだ穏やかな瀬戸内海の風景を眺めながら、「ここは宮島の厳島神社」だという根拠のない確信を感じたままかすかな呼び声に耳を傾けた。
それはまるで寄せては返す波のように静かに心の奥から伝わってくる。

――宮島・・・・か。

こうして急遽一泊二日の宮島旅行が決まった。

早朝の広島空港に降り立つと、四月だというのに肌寒い。
きのうまでの陽気はどこへいったのか、急に3月に戻ったような気温だ。
「やっぱりセーターを持ってこればよかったかなあ」
と思いつつ、JR広島駅に向かうリムジンバスに乗り込んだ。

東京羽田から約1時間半。広島空港は広島市内からパスで1時間ほどの山の中にある。何の変哲もない緑の森が続く山間部の風景を眺めつつまどろんでいるうちにバスは広島駅に到着。ここからJR山陽本線に乗り換えて宮島口へと向かう。地図で見るとけっこう距離があるような気がしたんだけど、のんびりと鈍行電車に揺られて20分ほどで宮島口に着いた。そこから宮島行きのフェリーに乗り換える。
フェリー乗り場に行くと、ひとでいっぱいだった。
春休み中とはいえ平日なので、それほど混んでいないかと思っていたらとんでもない。JR側の桟橋へ続く入り口は団体さんであふれかえっていた。

そんなわけでようやくフェリーに乗り込み、心地よい風を感じながらデッキから見えるあの有名な大鳥居を眺めているうちに対岸の宮島に到着。
フェリーを降りて、混雑した桟橋を通り抜けるとそこはもう宮島だ。
いつものことながら、見えないものに呼ばれて現地にゆくときは、ほとんど下調べをしないし、計画も立てない。
これは不便なようで、わくわくするようなハプニングがあったりしてけっこう楽しいんだよね。
とりあえず観光案内所で島の簡単な地図をもらって、厳島神社に続く海岸沿いの通りを歩いた。
宮島といえば、なんといっても日本三景のひとつである厳島神社の大鳥居が有名だよね。海中に建てられた朱塗りの大きな鳥居が穏やかな瀬戸内海の海の青さとあいまって、なんとも美しい。
時計をみると、11時半過ぎ。
厳島神社もいいんだけど、とりあえず厳島神社のご神体である弥山に登ってみたいな。山歩きは日中じゃないと怖いしなあ。というわけで、弥山→厳島神社というコースでまわることにした。
その前に腹ごしらえというわけで、神社の裏手の料理屋さんに入った。
お昼前ということで店内はそれほど混んではいない。広島といえば牡蠣とアナゴが有名らしい。あれこれ悩んだすえに牡蠣フライ丼を注文。
運ばれてきた牡蠣フライ丼のふたを開けるとぷうんと食欲をそそる匂いがする。考えてみたら、今朝は早かったせいで朝食も食べていない。電車の中でキャラメルをひとつ食べただけ。なんだか急にお腹がすいちゃった。
牡蠣フライ丼というのははじめて食べたけど、カツ丼のカツのかわりに牡蠣フライがのっているものを想像してもらうとわかりやすい。とろりとした半熟卵と柔らかな牡蠣の取り合わせがなかなか美味しかった。

さてお腹もいっぱいになったところでいざ出発。
弥山に登るにはいくつかのコースがある。
ロープウェイを使えば簡単に弥山の山頂にある弥山本堂に着くんだけど、気分は山歩き(笑)。
結局大聖院の横の石段を登ってゆくコースをとることにした。
宮島は「神をいつきまつる島」と呼ばれ、古くから島全体が神の降ります地とされてきた。なかでも標高529M、宮島の最高峰である弥山は原始林におおわれ、今も昔からの自然を色濃く残している。

朝は肌寒かったのに、急な山道を歩いているうちにうっすら汗ばんできた。日ごろの運動不足のせいか、不規則な石段は堪える。息をきらして登っていると、うしろから「こんにちは!」と声をかけながら若い白人女性がすいすいと追い抜いてゆく。宮島はやたらと外国人が多いなあ。もう何人とすれ違ったことか。

1時間半ぐらい歩いた頃、ようやく山頂付近に近づいてきた。
案内板には、左に行けば山頂展望台と弥山本堂、右に行けば奥の院と書かれている。

――奥の院ねえ・・・・。

このときいつもの気まぐれで、たいした理由もなく奥の院へ行ってみることにした。
というわけで弥山山頂へのコースをちょっとはずれて気楽に奥の院コースをとることにしたんだけど、いくら歩いてもいっこうに奥の院らしい場所にたどり着く気配がない。それどころか道はひたすら下り坂。さっきまで登ってきたのは何だったのよ〜と心の中でつぶやいてみたけどあとの祭り。奥の院コースが下界に続いているかは不明なので、とりあえず人里に戻るためには再び弥山展望台か本堂あたりに戻らなくちゃならないんだよね。そこからロープウェイで下界に下りるのが無難だろうな。
帰りはまた登りかあ・・・・と思うと一瞬めまいがした。
なんとなく不安になってきた頃、ようやく奥の院の分岐点の立て札を発見。
ところが奥の院方面の矢印の先を見ると、草深い山中の獣道のような上り坂。

・・・・・これ、誰かが立て札の方向をいじったんじゃないの。

半ばやけくそな気分でそう思いつつ何気なく立て札をいじると、簡単に動くではないか。
(げっ・・・・冗談でしょ)
あわてて立て札を元に戻す。
漫画じゃあるまいし、そんなことをする人がいるわけないよねと自分を納得させる。
ここまできたらほとんどやけくそ(笑)。こうなったら絶対に奥の院とやらに行ってやる。
というわけで草深い山道を行ってみることにした。

それからいくらもたたないうちに突然あたりが開け、奥の院に到着。
意外だったのは広い敷地内にいくつかのお宮とお社があったものの、かなり寂れた雰囲気を漂わせていたこと。あとで廻った弥山本堂とはえらい違いだ。予算不足(?)のせいだろうか、まったく手をかけず放置されているように見えた。たぶん一般の観光客はあまり来ないんじゃないかなあ。休憩がてら奥の院でゆっくりと時間をとったけど、その間誰にも会わなかったし。帰り際、トレッキングシューズをはいたハイカーとすれ違っただけだった。
まあとりあえず山道で迷子にならなかっただけでもよしとしよう。

というわけで再び来た道を引き返した。
途中で御山神社へという立て札があったので獣道に近い雰囲気(こればっかり)の山道に分け入り、そこからショートカットして御山神社へ向かった。
倒木はあるし、石段は崩れているし、獣道だかなんだかわからない状態でなんともすごい道だなあ。
息をきらし、やっとの思いで山道を登りきると、不意に視界が開けた。
どうやら御山神社の裏手にでたらしい。心底ほっとしているわたしを見下ろすように野生の鹿がじっとこちらを見ていた。
宮島では鹿は神の使いとされていて、とても大切にされている。そのせいかどこへいっても我が物顔で鹿が歩いているんだよね。
一瞬目が合ったのでにこっと笑うと、鹿は高い鳴き声をあげてゆっくりと境内に戻っていった。
それを眺めていたらわけもなく笑いがこみ上げてきた。わたしはヒクヒク言いつつ鹿のあとについて御山神社の境内に入った。狭い敷地に無人のちいさな社がぽつんと建っている。ここから弥山本堂までは歩くと少々離れているせいか、この空間には大きな寺社特有の参拝客のざわめきとは無縁な静けさが漂っている。
社の裏手の門から入ったので気づかなかったが、正式な入り口である鳥居の下にはかなり急な石段が続いている。そのせいか、なんとなく弥山の切り立った山頂に建っているような錯覚を起こさせる。
わたしは鳥居の下の石段に腰をおろした。
ここからはどこまでも続く弥山の原始林がよく見渡せる。
目をとじると、とてもすすがすがしくて柔らかな気が伝わってくる。このまま、ここでお昼寝しちゃいたいぐらい気持ちがいい。しばらく石段に座って休憩した。

このあと弥山本堂、弥山山頂をまわりロープウェイで下界に降りた。さすがに歩く元気はなかったんだよね。

その夜は宮島水族館のまん前にある羽鳥荘にお世話になった。
家庭的な雰囲気の食堂兼旅館だけど、厳島神社が目の前にあってなかなかよかった。晩御飯の牡蠣づくしのメニューもなかなか美味しい。
晩御飯を食べて一休みしたら厳島神社に行ってみようと思っていたんだけど、部屋に戻って外を見るといつのまにやら雨が降っている。
さすがに雨の中、外に出る気はしなかった。
それに昼間の山歩きと朝早かったせいか、なんだかすごく眠い。結局そのまま寝てしまった。

翌日は昨夜の雨がうそのような青空だった。
宿の1階の食堂で朝ごはんのお味噌汁を食べている横で、宿の女将が宮島のお役所の人事異動の話をしていた。トップの移動であおりを食うのはその下の人間だってところはどこも同じだなあ。

お世話になった女将に別れを告げて宿をあとにして厳島神社へ向かった。
普通は厳島神社に行ってから弥山なのかな(笑)。まあいいや。

さすがに厳島神社は美しい。海に浮かんだ朱塗りの寝殿造りの建物がとても穏やかな雰囲気をかもし出している。同じように弁天さんを祭った神社に天河神社がある。同じ弁天さんでも、厳島神社はとにかく人が多い。やっぱり知名度の差なんだろうなあ。まあ、こればっかりは人間の勝手な都合なので仕方ないよね。

帰り際

――これでようやく振り出しに戻るな

そう言って弁天さんが笑った。
北海道・宮古・天河・与那国・丹後・淡路・宮島・・・・・ね。
数年前にした弁天さんとの約束はやっと果たせたかな。
(うふふ。約束どおり北から南に水を流しましたよ)
にやっと笑ってそう答えると、ぬるんだ春の海水に洗われている厳島神社をあとにした。

さて一連の神事をすませ、御土産屋さんの並ぶ参道商店街でお土産を物色しつつお昼ご飯を食べた。
宮島というか、広島のお土産というともみじ饅頭が美味しい♪ 普通のあんこだけじゃなくて、チーズ・りんご・抹茶など中身はさまざま。ばら売りもしていたので、ひとつずつ買って食べてみました。個人的に好みだったのはスタンダードなあんことチーズクリームのもの。あなごちくわも美味しい。
昼食は「まめだぬき」というお店で食べたんだけど、ここのアナゴめしはおすすめです。夜は居酒屋になるだけあって、雰囲気もいいし酒の肴も美味しいだろうな〜と思わせる味でした。

というわけで一泊二日の駆け足旅行だったけど、充実した二日間でした♪
さて来週は北海道に行ってきます。