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Diary 6 (’03.9.15〜10.25)
10月25日 花柄妄想パートU
つい先日、仕事帰りに立川の駅ビルに寄った。
もうすっかり秋冬物が出揃っていて、ぶらぶらと服を眺めて歩くのはけっこう楽しい。
立川の駅ピルはルミネとグランディオとふたつあるんだけど、いつもなんとなくルミネに足が向いてしまうんだよね。
その日はめずらしくグランディオに行ってみる気になったの。
駅の改札からそのままフロアにはいり、あちこち眺めていると、ふと素敵なキャミソールが目に入った。
ベロアの白地にワインレッドの大柄な花模様がなんともいえずいい。そのまま吸い寄せられるように花柄のキャミソールを着たマネキンを眺めていると、きれいな店員さんがニコニコしながらやってきた。
「いらっしゃいませ〜。今日は何をお探しですか」
結局、買っちゃいました。花柄のキャミソール(爆。
それにしても・・・・・なんでこう花柄に目がないんだろう?
帰りの道すがら電車に揺られながらよくよく考えてみた。
だいたいわたしは昔から革ジャンにジーパンとか、わりとボーイッシュな格好ばかりしていたんだよね。ちょっとモード系の流行の服やはっとするような派手な色使いの組み合わせとかも大好きだし。
シックな女らしいスカートにブラウスなんて、まず着たことがなかったなあ。
そんな服を着る必要のある場所へも行かなかったし。
やっぱり最近、ホテルに出入りするようになったことがいちばん大きな理由かしら。
いちおうそれっぽいシックな服装を着るようになったし、着てみると案外そうした女っぽい服がきらいじゃないということに気がついたんだよね。
いままでは無意識のうちに、わたしには花柄なんて似合わないと思っていたのかも。
なんせ肩で風きって歩くのが好きだったぐらいだから(笑。
いま花柄の女っぽい服を着たいと思うのはその反動かなあ。
服っていうのは、そのときの気分を表わしているってよく言われるけど、それなりに言えているのかもね。
ちなみに昔から一貫して好きな色は赤。それも深紅がいい。
20歳を過ぎてから好きになったのはモスグリーンと紫。よく赤は情熱、緑は癒しっていうけど、花柄ははなんだろうな〜。わたし的には、ひとことで緑といっても明度が違えば印象も違うから、どこまでそんな色占い(?)があてになるのかなあ・・・と思うんだけどね(笑)。
最近はめっきり朝晩は冷え込むようになってきたよね。
そろそろ紫や緑のセーターが着たいなあと思う今日この頃。
それに花柄のスカートもね♪
10月13日 桜
最近、よく昔のことを思い出す。
北海道から東京にひっこしてきたのは幼稚園の年長組のときだったんだけど、はじめて教室にはいった時の緊張感とか、6歳下の弟が生まれた日にかいだ病院の消毒の匂いとか。小学生の頃、大阪で万国博覧会っていうのがあって、そのとき見た「月の石」が妙に印象に残っていて、なんとも不思議な感じ。
あらためて振り返ると、ほんとにいろんな事があったんだなあ・・・・・なんて、妙に感慨に浸ってしまったり。
最近の感慨モードは、ちょっと前に瞑想中に見た景色も影響しているのかなあ。
どんな景色だったかっていうと、ピンク色のデンブを敷き詰めたようなのどかな草原に木の牛小屋があるの。牛小屋だ・・・・・と思いながら、まわりを見渡すと、デンブだと思っていたのは満開の桜の花なの。
ふいに場面が変わって、そこは北海道のわたしの生まれたちいさな海辺の町。
とても懐かしくて穏やかな気配に満ちているんだよね。
まっすぐに伸びる道をあるいてゆくと、今はもう亡くなった祖父の家があるの。とても古い家で、ちいさな頃はよく遊びにいったんだよね。今現在は母がひとりで住んでいるんだけど。
で、玄関の引き戸をがらがらとあけると、そこに母が立っているんだよね。
それがまるで慈愛に満ちた観音さまみたいな表情なの。母はものすごく気性の激しいひとだったから、まるで別人のよう。
その母がにっこり微笑んでわたしを迎えてくれるわけ。
気がつくと、町全体が満開の桜のなかにあって、ピンク色のもやに包まれているように見えた。現実にはそんなに町全体が埋まるほどの桜の木はないから、よけいに桜の印象が強烈だったんだよね。
穏やかな懐かしさと桜の色がとてもリアルで、瞑想から戻っても、しばらくぼーとしていたの。
あまりにも強烈な印象のビジョンだったから、ちょっと考えた。
なんだろうって。
以前、これと似たような懐かしさを感じたことがあるの。
それは瞑想ではなく、夜眠っているときに見た夢。
やっぱりわたしは祖父の家にいて、仏壇の横で料理をしているんだよね。そのとき仏壇に飾ってあったシダの葉の緑色が強烈な印象だったの。同時になんともいえない穏やかで懐かしい気配を感じたんだよね。祖父が亡くなったのは、その夢をみてから半月後だったの。享年96歳、とても穏やかな死だったんだよね。
ちなみに亡くなった日の朝方見た夢のなかで、わたしは少年の姿をした祖父からチケットのようなものをもらったんだよね。
「もういらないから、あげるよ」
そう言って、祖父は車から降りると、穏やかな雨のなかを歩いていったの。
祖父のことを思うと、とてもいい人生だったんだなと思う。
ダイアリーの最初の頃に産土神社のことを書いたけど、あれはこの時のことなんだよね。
不思議な引き合わせだったなあ・・・・。
そんなことを思うと、すべてなるべくしてなったんじゃないかと思えることばかり。まあ、結果論だけど。
ひとが何かの気づきを得て変わってゆく姿は、ある意味で古い自我の死と新しい自我の誕生でもあるんだよね。祖父の死と通じる懐かしさを感じたのは、もしかしたら自我の死・変容という意味合いがあるのかもなあ。
古い自我を捨てたあとは、どんな自分に変わっているんだろう?
それは母の笑顔が暗示しているのかもしれないと思うと、どんな人生も受け入れられるような気がする。
ひとはなんて愚かでどうしようもない生きものなんだろうと思うときがあるけど、だからこそ、かぎりない愛しさをこめて、そのひとの人生のすべてを抱きしめたいと思うのかもしれないね。
あれほど苦しかった母との精神的な確執が雪解けのようにゆっくりと消えていったのに気づいたのはいつ頃だっただろう。
祖父が亡くなった頃だったかもしれない。
すべてがつながっているんだよね。
ふふふふ。
だから、人生っておもしろい。
ね!
10月6日 文章の神さま♪
最近気づいたことなんだけど、感情の大きな変化の真っ只中にいると、かえって日記が書けないんだよね。どうせ書くなら、読む人にわかるように書きたいし、そうなるとそれまでの経過とか長々と書く必要があるんだけど、それを書くにはまだ生々しすぎて、関係者にはさしさわりがある場合もあるしね。
大きな気持ちの変化の場合はとくにそう。
結論はひと言なんだけど、それじゃ、読む側は「あっそう・・・・」で終わっちゃう(苦笑)。
それも悔しいじゃない(爆)。
このあたりが、根っからの物書き根性なのかなあ・・・・・。
昔、私小説っていうのが全盛だった時代があるけど、あれって、作者のまわりの人間は苦労しただろうなあと思う。だって、プライベートもへったくれもないんだもんね。
不定期連載小説「沙の封印」は二年前に現実に起こったことをベースにしているんだけど、最近ようやく書いてもいいかなと思えるようになってきたの。
もちろん、まんま現実じゃないです(笑)。主人公すずなの設定なんかは、意図的にわたしとは違う設定に変えてあるよ。とくに年齢のあたりを・・・・(爆)。
冗談はさておき、設定を変えてあるのは、できるかぎり客観的な文章を書きたいのと、この先ストーリーはどんどんブっとんでいくので架空の物語として書かなきゃリアリティーが保てないからです。小説の極意は99パーセントの真実に1パーセントの嘘を織り交ぜることだっていうけどね(ぉ。
考えたら、子供の頃から文章はよく書いていたなあ。日記は三日坊主なんだけど、空想の物語は思いつくとノートに書き綴っていたような気がする。もちろん書いたからそれでどうっていうのでもなくて、ただ書けば満足っていう世界なんだけどね。
書くことって、ものすごく癒しになるんだよね。
過去のトラウマや乗り越える必要のある課題をクリアしてゆくうえで、それを題材に物語をつくるとね、物語が完成したときにはその課題を自分のなかで消化できたりするんだよね。あるいは整理できたりね。
それと絵もよく描いていたなあ。
10代の頃のわたしの絵って、全体的に黒とか濃紺とか、暗い色使いの絵が多かった。宇宙画が好きで、画用紙にいろんな色の絵の具を重ね塗りしていって最終的に真っ黒な絵になってしまったり・・・・・・。本人は黒の背後にある色に意味があるとか、わけのわからないことを考えていたんだけどね。当然といえば当然だけど、あんまり理解してくれるひとはいなかったような気がする。
ほんと、へんな奴だったなあ・・・・・・あの頃の自分って。
でもさ、絵も文章もみんな自分のための癒しに繋がっていたんだよね。
音楽も好きだった。
内緒だけど(内緒でもなんでもないが)、十代の頃はよく歌を作っていたの。でも音楽って、絵や文章以上の魔力みたいなものがあって、なんていうのかなあ・・・・・・・自分のなかに無理やり閉じ込めている感情を引っ張り出す力があるような気がする。
音に感情が揺さぶりをかけられるっていうのかな。
それが本能的に恐ろしくて、ある時期、ずっと音楽から遠ざかっていたんだよね。
ここ何年かで、やっと音楽を聴けるようになった。
・・・・・って言ったらびっくりするかもしれないけど。
でも本当なの。
絵や文章を描くことや、友人をはじめとしたまわりのひとたちに助けられて、今はこんなに自由でラクチンな自分がいるんだよね。
それなのに昔の、若い頃のわたしは
「わたしが苦しかったとき、誰も助けてくれなかった。わたしはいつもひとりぽっちだった」
・・・・・って思っていたんだよね。
でも最近気がついた。
それはわたしが望んだことだったんだって。
問題にぶち当たったとき、誰かに問題を肩代わりしてもらったり助けてもらったんじゃ、自分にとって何の学びにもならないし、それをクリアしたときの喜びを感じることができないよね。
だから潜在意識下ではひとに助けてもらうことを望んでいなかったんだよね。
ただ身近なひとに自分の気持ちをわかってもらえれば、それでじゅうぶんだったんだと思う。
――理解してもらっている
それだけで頑張ることができるんだよね。
ひとはみんな目の前の課題を自力でクリアする力をもっているんだと思う。
これに気づいた時、それまでわたしの中にあったモヤモヤがすっと消えたの。
大切なひとが苦しんでいても何もできない自分自身に対して、それまでずっと無力感があったんだよね。
でもわたしがそうだったように、誰でも自力で乗り越える力が備わっているんだよね。
無力感なんか感じる必要はない。相手の無意識(潜在意識)もまた、自力で戦い抜くことを望んでいるんだよね。
それなら・・・・・わたしはただ見守っていようと思った。
あれ・・・・・・日記に気持ちの変化を書くのは難しい〜なんて書いていたくせに、しっかり最近のわたしの心境の変化なんて書いてる(爆)。
冒頭の文からよくここまでたどり着いたもんです。
文章の神さま、ありがと〜〜〜〜♪
9月24日 花柄のスカート
うちの近所にDCもののB級品やサンプル商品を安く売っている、いわゆるアウトレットショップがあるの。
きのうはひさしぶりにそこに行ってきました。
ちょうど秋物が入荷していて、今頃の夏と秋の中間のような微妙な季節にぴったりの服がいっぱいあって、眺めているだけでもじゅうぶん目の保養になるよね。
そのなかで目についたのが花柄のスカート。
ふだん、家にいるときや仕事のときは、TシャツにGパンかザックリしたフォークロアのロングスカートをはいていることが多いんだよね。旅行や出張のときも動きやすいGパンとスニーカーって格好がほとんどだし。
でも、じつは華奢な花柄プリントのスカートとかワンピースが大好きなのです(爆)。
そこに置いてあったのは、ふんわりとしたシフォンの膝丈のスカートなんだけど、白地に柔らかなワインレッド系の花模様が素敵。生地が薄いので、これを着られるのは今頃からせいぜい10月半ばぐらいかなあ。
あ、でもノースリーブのアルパカのセーターとブーツを組み合わせたら、もうちょっと寒くなってもだいじょうぶかしら。かえってスカートの薄さが妖精っぽくていいかな(ぉぃ・・・・・。
などと、現実離れした妄想がどんどん膨らんでいく。
ん〜〜〜かわいいなあ。。。。。
こういうスカートをはいてデートに行きたい〜♪
当面そんな予定もないけど、とりあえず木曜日にキャピトル東急に行くし、そのときに着ていけばいいか。
というわけで、結局買っちゃいましたw
ところが今朝起きたら、めっちゃ寒いじゃん。
まだ9月だっていうのに、なんか11月ぐらいの気温???
こんなに寒かったら、明日はこの薄いスカートじゃ寒いかも〜。風邪ひいちゃいそうだし。
でも、はきたいなあ〜。
ああ・・・妖精バージョンがあ・・・・・。
実をとるか花をとるか・・・・・(悩)。
花柄妄想が捨てきれないキョーコなのでした・・・・・・。
9月18日 ホテルのランチ
今日はちょっと早く仕事が終わったので、ホテル内のレストランでランチを食べたの。
ホテルのレディスパックについているランチコースの招待券の期限が今日までだったので、使わないともったいないかなと思いつつ、コース料理をひとりで食べるのもなあ・・・・と躊躇していたんだけど、思い切って行ってみたら、これがなかなかグーでした。
遅めのお昼ということもあって、店内にはわたしのほかにはカップルが2組と仕事の打ち合わせ風のビジネスマンの二人連れがいるだけ。
入り口で招待券を渡すと、黒服のウェイターがテーブルまで案内してくれて、さっそくメニューの説明に来たの。その物腰の柔らかさや常に笑顔を絶やさない接客態度がとても感じがよくて、ひとりでもゆっくり食べることができるような雰囲気なんだよね。
さてメニューですが、最初に運ばれてきたのは、そば粉入りのパン。これがもちもちとした感触でとっても美味しかった。ひとつめを食べ終わって、ペリエを飲んでいると、すかさずウェイターがおかわりをすすめてくれたんだけど、最近小食気味のわたしとしては、ここでパンを食べ過ぎると、絶対メインが食べられなくなるんだよね。出されたものはなるべく残したくないので未練はあったけどパス。
前菜は梨とラディッシュをさいころサイズに切って、上からパルサミコソースとりんごシャーベットをかけたサラダ。梨とラディッシュの組み合わせが意外に美味しかった。
メインは子牛のシチュー。
柔らかく煮た子牛の肉とマッシュルームにクリームソースがかかっているんだけど、けっこうボリュームがあった。パンをひとつにしておいて正解だったかも。
デザートは苺シャーベット、プチモンブラン、アセロラのゼリーとマンゴープリン。
このマンゴープリンって、けっこうさっぱりしているイメージがあったんだけど、ここのやつはとろりと柔らかくて、生クリーム(?)の味が濃くてすごく美味しかった。
前菜一品にメイン、そしてデザートだけなんだけど、これでもじゅうぶんお腹がいっぱいになっちゃった(笑)。
すっかり満腹してお店をでてから、はたと気づいた。
じつはケーキセット無料券というのももらっていて、これも今日まで。
もったいないよなあ・・・・・・やっぱり。
というわけで、ロビー階のコーヒーラウンジへケーキを食べに行きました。
ウェイターに案内されて席につくと、さっそくケーキの見本を見せらたの。
銀色のお盆にケーキが6個並んでいて、ミルフィーユとかチーズケーキとか、どれも栗を素材にしたもの。
びっくりしたのは、ケーキのサイズが大きいこと。最近のケーキはわりと小さめなものが多いでしょ。ところがここのケーキはどれも大人の手のひらにずっしりと重みを感じそうなサイズなの。こんな大きめのケーキはひさしぶりに見たな〜と思いつつ、モンブランを注文。
コーヒーと一緒に運ばれてきたケーキをひとくち食べると、なかなか美味しい。あまり甘くなくて、食後でなければふたつぐらい食べられちゃうようなお味でした。ごちそうさま〜♪
というわけで、ひさびさに優雅な昼下がりを過ごしたのだけど、ここのホテルはなかなかオススメです。
最近の新築のホテルのようなおしゃれさはないんだけど、和の粋を感じさせるような内装やホテルマンの細かい心配りが心地よかったです。
永田町という場所がらなのか、ゆったりとくつろげる空間でした。
9月16日 変容
連休中は淡路島に行ったり、倉敷オフがあったりで、今朝からやっと通常モードに戻りました。
きのうは夕方東京に戻ってきたせいもあって、慌ただしくて気づかなかったんだけど、自分のなかでとても大きな変化がありました。
それに気づいたのは、今朝、お祈りをしている時でした。
いつもそうなんだけど、目をとじて祈り始めると体がとても軽くなるの。意識が無限に広がっていって、無重力っていうか、宇宙空間に浮いているような感覚になるんだよね。
で、今朝、目をとじたとたん、一瞬にして宇宙空間感覚にトリップしたの。いつもはこの感覚になるのに数秒かかるので、最初あれ?と思った。それに祈りのときにはいってくるエネルギーが、より深い部分まで浸透してゆくんだよね。
でもそれは意外でもなんでもなくて、ああ・・・そりゃそうだよな・・・・って納得したというか、、すっと胸におりてきたの。同時に淡路島で見たまるい月がゆっくりとよみがえってきた。
淡路島に行ったのはオフ会の前日だったんだけど、フェリーで島に渡るとあいにくの雨もよう。
いったん宿にチェックインしてから、イザナギ神社とオノコロ神社、それにレイラインの一画にある磐座を見るためにふたたび国道に向かったの。
ところが雨脚はどんどん激しくなってくるうえに、島に着いたのが遅かったせいもあって、オノコロ神社に到着したときは6時をまわっていたんだよね。
「古事記」の国生みのくだりで、イザナギとイザナミが最初に生んだ島の名前がオノコロ島というんだけど、淡路島がこのオノコロ島なんじゃないかと言われていて、オノコロ神社にはイザナギ・イザナミとククリ姫が祭られているの。
お参りをすませて、次の目的地・イザナギ神社に行こうと思ったんだけど、いまいち道がわからない。おまけに夕食は7時に頼んだんだけど、とても間に合いそうにない。しかたないので少し遅れますって連絡しておこうと思ったら、宿の電話番号がわからない。
結局、このあとイザナギ神社と磐座をまわるのは時間的に無理なので、今回はあきらめたの。
小雨の降りしきるなか、車の窓から空を見ていると、前方にすぅーって空に向かって伸びる虹が見えたの。
――ああ・・・・・・そうか。
それを見たとき、そう思った。
たぶんオノコロ神社だけで十分なんだと。
宿に戻って食事をとっていると雷が鳴った。
ピカっと稲妻が光るたびに、空が一瞬昼間のように明るくなる。おまけに30年ぶりの大型の台風が近づいているらしくて、いっこうに雨が止むようすもない。
あしたのオフ会、だいじょうぶかなあ・・・・・・と思いつつ、温泉にはいることにした。
すでに10時をまわっていたせいか、大浴場の外の露天風呂にはわたしのほかには誰もいない。
(お月さまが見たいなあ・・・・・・)
露天風呂に胸までつかったまま夜空を見上げると、真っ黒い雲がものすごいスピードで移動していくの。
いつのまにか黒い雲の向こう側の空が明るくなってる。わたしは内心ワクワクしながら、身じろぎもせずにじっと空を見つめた。
やがて――
ゆっくりと、まんまるい月が顔を出した。
ちょうど空の半分は雨雲に覆われて真っ黒い墨を流したようになっていて、残りの半分は白い月明かりに照らされてうっすらと白んでいるように見えた。
――きれいだなあ・・・・・・。
ほんとうに月の光は息を飲むほど美しかった。
煌煌と輝く月のそばで、ときおり稲妻が閃いていて、そりゃものすごい風景だったけど。
でも、このとき私の深い部分で納得できるものがあったんだよね。
何をだって聞かれれば、すべてに対してかなあ。
いままでの人生のいろんな選択とか、いま自分がこの場所に立っていることとか、すべて間違っていなかったと素直に思えたの。
小雨のなかの虹と雷雨の只中にあるお月さまは、わたしにそう思わせるだけの力があったんだよね。
翌日のオフ会は言うまでもなく最高でした。
あんな月を見たあとだったせいなのか、みんなの言葉や笑顔がいつも以上に心の中にはいってくるの。
ひとりひとりが最高に素敵なものをもっていて、たくさんの目に見えない贈り物を受け取りました。
わたしの中の「迷い」がなくなったから、ストレートにそれを感じることができたのかもしれないと思う。
いま、自分がどんどん変わってゆくのがわかる。
そしてそんなふうに変わっていくのがとっても楽しい。
ありがとう♪
あらためて感謝です!
9月15日 倉敷オフ会
こんにちは!
13、14日は一泊二日の倉敷オフ会に行ってきました。
集まったのは4人だったんだけど、これがとにかく面白かった。
お昼に倉敷駅前で集合したあと、まず美観地区の大原美術館へ直行。
セザンヌやピカソなど西洋絵画の展示してある館はなかなか興味深かった。近代美術って不思議だよね。どこが芸術なんだか理解不能の絵も多くて、これならわたしでも描ける! ・・・と思うんだけど、わたしが描いたらただの落書きだよな〜。
大原美術館の敷地内をあちこち歩いて喉も渇いたし疲れたので、どこかで休みたいなと思いつつ、緑植え込みの向こうに目をやると、日本庭園に囲まれた優雅なお茶室があるのが見えたんだよね。そういえば、さっき店のおばちゃんが「今日はお茶室を解放していますよ」って言っていたな。
畳なら足を伸ばして休憩できるし♪
というわけで、300円払って案内されるまま中へ。
「奥からはいってくださいね」
「はあい」
お茶室の入り口でサンダルを脱ごうとして、何気なく中を見て呆然。
「げっ・・・・・・正座している〜〜〜!」
そうなんだよね。
そこは、まさしくお茶室そのもの。赤い敷物の上にみんな仲よく正座して、お菓子と抹茶をいただくわけ。
わたしもゆみちゃんも、みんな畳でのんびりくつろいでお茶を飲む図を想像していただけに、絶句。
でもお金は払っちゃったし、いまさら帰るわけにもいかないし。
というわけで、しっかり正座して抹茶を飲んできました〜。
そんなこんなで美観地区を楽しんだあとは買出しを済ませ、倉敷から1時間ほどのところにある山小屋へ向かいました。
バーベキューにカラオケは夜更けまで続き・・・・お開きになったのは深夜3時をまわった頃。
翌日はゆみちゃんに簡単なビジョンヨガをしてもらいました。
はじめての体験だったんだけど、すごく気持ちよかった〜♪ ゆみちゃんの手って、ほわんとしてあったかかったです。お返しにわたしもゆみちゃんにヒーリング♪
倉敷観光にバーベキュー&カラオケ♪ とっても楽しい二日間でした。