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Diary 2 (2003年 1.26〜2.27)


2月27日 「イラク情勢について思うこと」
今日はちょっと真面目に戦争と平和について考えてみたいと思います。

アメリカの対イラク攻撃に向けた動きや北朝鮮の孤立化など、昨今の国際情勢は緊迫の度合いを増していますが、そうした一連の動きに対して一方では反戦の機運も高まってきています。
たしかにアメリカのイラク攻撃には大国の傲慢を感じるし、戦争はしないほうがいいに決まっています。
でもまるで流行の服を着るみたいに反戦を唱えるその思考回路に危険なものを感じるのはわたしだけでしょうか?
世界が平和になりますようにという祈りを聞くとき、いつもその中身のなさを感じてしまうんです。

人間は自分が不安だったり、今の自分のありように満たされないものを感じたとき、大きなスローガンに簡単に心を奪われてしまう生き物です。第二次世界大戦前夜がそうでした。権力者にとって、内面に空虚な心を抱えた人間ほど操りやすいものはないと思うんです。
ここ何十年かの例を挙げれば学生運動がそうだったんじゃないかな。自分自身と向き合えない学生たちが、自分自身の葛藤と戦うかわりに仮想敵として選んだのが国家権力だったような気がします。スローガンは大きいほどいい。心の中の不安や満たされない気持ちから目をそらすことができるからです。

今回のアメリカの対イラク攻撃を止めるためにブッシュ大統領に光を送ろうという動きにも、それに近いものを感じます。
けれど冷静になって考えて欲しい。
あなたは今、心から満たされていますか?
今の自分のありようを納得していますか?
自分という存在をありのまま、等身大の自分を愛しいと思えますか?
流行の服が買えなくても、ひとよりお給料が安くても、少々太っていても、そうしたことも含めて「自分」はかけがえのない「自分」なのだと思えますか?
そして極めつけの質問。次に生まれてくるときも、今の自分の人生を選択しますか?

自分自身が満たされていないのに、ひとに光は送れません。たしかに光の部屋からブッシュ大統領に光を送ることは簡単にできます。でもね、本気で平和を望むのであればブッシュ大統領に光を送るより、まずさきにすべきことがあります。
それは自分自身が光で満たされることです。
自分自身が満たされたら、次は愛する人に光を送ってください。
家族でも、恋人でも友達でもいいんです。あなたの愛するひとを思い浮かべてください。そのひとが喜びで満たされるように愛を送ってあげてください。そのひとの顔を思い浮かべて、光の部屋で光を浴びれば間違いなくそのひとも光に包まれます。

そして光を送るだけじゃなくて、実際に日常生活の中でお互いに理解しあえるように努力してみてください。
ゆうべ恋人と喧嘩しちゃったなら、あなたからごめんねって伝えてみてください。
今朝出掛けに子供をきつく叱ってしまったなら、子供が帰ってきたら思い切り抱きしめてあげてください。
職場で毎日お茶汲みばかり・・・まったくいやになっちゃう・・・と思っているなら、心をこめて美味しいお茶をいれてください。

日々の生活の中で、あなた自身が一瞬一瞬を大切に心をこめて生きることができたなら、あなたのまわりにちいさな愛がひろがります。美味しいお茶をいれることで、職場が和やかな雰囲気になるかもしれません。その職場で働いていた人がうちに帰って家族と接するときも、きっと穏やかな気持ちで接するでしょう。すると家庭が平和になります。そんな親をみて、知らず子供も心が落ち着いて友達と仲良くできるでしょう。クラスでのいじめが減るかもしれません。
美味しいお茶を入れるだけで、こんなに大きな影響力があるんです。

戦争というのは、集団の悪想念が引き起こします。決してたったひとりの権力者が引き起こすわけではありません。ブッシュ大統領に光を送っても、あなた自身の心が怒りや不安で揺れていれば何の効果もありません。むしろ集団悪想念の一員となってブッシュ大統領の背中を押すことになると思います。
国というのは個人の集団です。ということは、ひとりひとりの心のありようが国のありように反映されるわけです。世界平和というスローガンはたしかに耳障りがいいし、なんとなく自分が価値のある人間になったような錯覚を引き起こします。でも自分自身の心が満ち足りていなければ、それは意味がないばかりか、危険な思想の暴走を引き起こします。歴史を紐解ば、戦前の日本やドイツなどの例をあげるまでもなく、過去幾度となくそうやって全体主義に向かって国全体が突っ走っていったのは一目瞭然でしょう。

けれどひとりひとりの心が満たされてゆけば、ゆっくりですが確実に愛と平和が広がってゆきます。
世界は自分の縮図です。
平和を望むなら、まず身近なところから始めてください。
だいじょうぶです。
たとえ国家間の交渉がスムーズにいかなくて戦争が始まってしまったとしても間に合います。

まず落ち着いて。
ゆっくりと深呼吸して。
そしてちょっと今の自分の心を冷静に振り返ってください。浮き足立っているのを感じるでしょう?
さあ、仕切り直しです。
周囲の状況に惑わされることなく、自分自身の心の中でしっかりと愛を育ててください。
今いちばん必要なのは、自分自身の心を振り返って、身近な人間を愛することです。
そして、もし光の部屋を使っていただけるなら、まず自分、次に愛する身近なひとたち、そして自分の住む町、自分の住む地方、日本列島・・・というふうに心の中で抱きしめながら、光を浴びせかけてあげてください。
そして最後に、地球そのものにも光をあげてください。


2月25日 「つきあいゲノム心理テスト」
某サイトさまでつきあいゲノムという心理テスト形式の占い(?)が話題になっていたので、さっそく自分もやってみた。

結果 タイプ2  このタイプをひと言で表すと「Going my イエーイ」
会話が楽しく、自然と人の輪の中心にいる人です。

既存のモラルに捕らわれすぎず
自分の可能性を信じてアグレッシブに活動するキャラ。
基本的に目立つことは大好き。
多分に自信家で、向上心もあるが
ナルシストな面も、もれなくセットでついてきます。

・人づきあいは
 「私の得意技」だと思っています。

・好奇心を刺激するような新しいこと、楽しいことが大好きです。
・裏表のない本音直球キャラ。
・ちょっとドライ。情に流されず、正しいことに妥協しません。
・仕事に関しては、結果至上主義。

周りにいる友達・同僚はタイプ 2 をどう思っているでしょうか?

刺激的で楽しい人だと思っています。
 いつも周囲を楽しませるエンターティナー的要素がたっぷりな
 タイプ2はパーティ要員として、多くの人のアドレス帳にリストアップされているでしょう。
・ドライなやつだと思っています。
 仕事上においては余計な感情や情に流されることが極めて少ないため、
 仕事などをてきぱきと進めます。
 会議などで論点がずれていることを
 あっさり指摘し、方向修正する姿は周囲をうならせます。
 本人は「論理的」だと思っていますが、
 時に「感情的」にまくしててているときイメージの方が、
 周囲の印象は強いかもしれません。
・ちょっとワガママだと思っています。
 歯に衣着せぬ物言いで、本音をスパスパと言うこのタイプは
 「さっぱりしている」と好意的にとらえられますが、
 反面、利己的でわがままだという印象もセットでついてきます。


・・・だそうです。
自信家でちょっとドライ、それにナルシストの面がもれなくセットでついてきます(爆)。
うーん・・・当たってるかも。
みなさんも遊んでみてくださいませ♪


http://www.charamil.com/info/whats_charamil.php


2月19日 「うりずんの島」
宮古島に住む知り合いがCDをだしました♪

小説の取材と称して、そのじつ不思議な声に呼ばれるように宮古の土を踏んだのが一年前の一月。
ある朝目を覚ますと、「宮古」という言葉がポンと胸に飛び込んできました。
――宮古!
なんともいえない、胸がうずくような響き。何かに呼ばれるときはいつもこのパターン。
こうしてミステリーハンター(笑)キョーコの宮古の旅が始まりました。旅の目的はわたしを呼ぶ声の主が誰なのかを確かめること。ついでに小説の題材もしっかりもらって来ようっていう魂胆です。
さてさて毎度のことながら、下調べはなし。宮古空港に着いて観光案内で地図をもらい、とりあえずタクシーで島内の気になる場所をまわりました。
その日の夜、晩御飯がてらちょっとおしゃれなバーのカウンターで泡盛を飲んでいたときのことです。店のオニイと話が弾んで音楽の話題になったとき、オニイが言いました。
「彼女もお店やってるんだよ」
そう言われてひょいと隣をみると、椅子をひとつ隔てたカウンター席で髪の長い女性が食後のコーヒーを飲んでいるところでした。
それが七重ちゃんでした。
その晩、さっそく彼女の店にいきました。教えられたとおり、平良のメイン通りよりすこし奥まった路地にはいって二軒目。ほとんど素通りしてしまうんじゃないかと思うほどわかりにくい看板発見。ドアを開けると、薄暗い店内には大きな木のカウンターテーブルがひとつ。お客が10人もはいれば満員って感じの狭い店内はなんともアットホームな雰囲気。すぐうしろはライブ用のステージになっていて、無造作に三線が立てかけてありました。
10時をまわると、ようやくお客がぼちぼち集まってきて、のひなひろしさんのライブが始まりました。
アコースティックギターとのひなさんの唄が狭い店内に響きわたります。
そこにたっぷり泡盛のまわったお客が飛び入りして、ギターと三線の音でもう店の中はチャンプルー。
このとき、キョーコははじめて生の三線の音を聴きました。
大地と命の音――。
三線の音色に混じって、宮古の精霊たちがざわめいているのが伝わってきました。青い月夜の浜辺や森のあちこちで、精霊たちも泡盛片手に唄っているのかもしれません。遠い祖先を恋する唄を。

のひなさんとその仲間たちが初のCDをだしたのは去年の秋。ジョニー宜野湾さんや山川貴代美さんたちも加わって、とても素敵なアルバムに仕上がっています。
なんだか自分のことのように嬉しいです♪

そうそう、キョーコを呼んだ声の主ですが、それはまた次回にでもゆっくりお話しましょう。

2月8日 「ロード・オブ・ザ・リング」
先日、近くのレンタルビデオ屋さんで「ロード・オブ・ザ・リング」の第一部を借りてきました。ずっと観たかったんだけど、なかなか映画館に足を運ぶ暇がなくて、レンタル始まったらすぐに借りに行こうと思っていたのに、いざ始まるといつ行ってもレンタル中。

というわけで、先週ようやく観ることができたんだけど、正直いって感動しました。
わたしは小説のほうは読んだことがないので純粋に映画のみの話になりますけど、壮大なファンタジーの世界をじつに魅力的に表現していると思います。スピード感とかメリハリという意味では、同じファンタジー系のハリーポッターやネバーエンディングストーリーに負けるけど、それ以上に心に響くものがありました。それは、この映画のもつ世界観です。
過去から未来へ、すべてのものが必然的な因果関係の中でつながっているという世界観。
主人公のフロドは自分が指輪を受け継いでしまったという現実を受け入れることができずにいました。その時に魔法使いのガンダルフがこんなことを言います。

おまえは、偶然指輪を引き継ぐことになったと思っているが、それは違う。世界には闇の力以外の別の、もうひとつの力が働いている。おまえがビルボから指輪を引き継いだのは必然だ。運命がおまえを選んだのだ。・・・そう思えば、乗り越えようとする力も沸いてくるだろう?

正確なセリフは覚えていないんだけど、こんな内容だったと思います。
そうなんだよね。
自分の今この瞬間の現実を受け入れることが、人間にはいちばん難しいのかもしれません。熱くも冷たくもない、ぬるま湯のような状況だったら楽だし受け入れるのは簡単だよね。だけど、自分にとって納得のいかない現実だったら・・・あるいは受け入れるには少々手に余るような状況だったら・・・。
卑近な例で申しわけないんだけど、たとえばずっと憧れていたプロジェクトが偶然転がり込んできて、引き受けざるを得なくなったらどうだろう。自分にはそれをやりとげるだけの実力なんてないんじゃないかという自己評価だとしたら、やっぱり悩むよねえ。もっと適任者がいるはずなのに、なんで自分が・・・そんでもってプロジェクトを実行してゆく上で、苦境に立たされたら、ますますツライ。
でも、それを引き受けたのは運命だって考えたら、それこそ腹をくくるしかなくなるよね。
大なり小なり、生きてゆくうえでこんなことはしょっちゅうだと思う。
でもごくふつうに生きている自分には、フロドのように世界の命運を引き受けるなんてことは起こり得ないと思うでしょ? 

そんなことはありません。

この現実世界においても、すべてのものが過去から未来へと繋がっているんじゃないかなあ。ひとはそれぞれ、もって生まれた役割があって、誰が欠けてもだめなんだと思う。自分なんか・・・って自己嫌悪でいっぱいになっていても、そのひとにはそのひとにしかできない役割があるんだよね。それは歴史上に名前を残すとかそんなことじゃなくて、たとえば誰かを愛することであったり、心の絆を深めることかもしれない。あるいは親として子供を育てていくことかもしれない。地域や社会にちいさな貢献をすることかもしれないし、誰かの反面教師になることかもしれない。
ただひとつ確かなのは、今この世に存在しているあなたがいなければ、世界は別の形になっているってこと。そして、それはまるでSF小説にでてくるパラレルワールドのように、10年後、100年後、まったく違うもうひとつの未来を形作ってしまうってことだよね。
だから、あなたがそこにいなくちゃだめなんです。そしてあなたの心ひとつで、あなただけではなく、地球の未来そのものが大きく変わってしまうんです。
そう・・・フロドが指輪を引き継いだように、すべてのひとが指輪を引き継いでこの世に生まれてきたんです。その指輪は目に見えないから、なかなかみんな気がつかない。でもたしかに約束したんですよ。そして、その約束はたいていの場合、渦中にいるときは、それが約束だったことに気がつきません。ずっとあとになってから、それが生まれる前からの約束だったことに気がつくんですよ。
どんな約束したのかさっぱり心当たりがないって? そういうひとには約束を思い出すためのヒントをあげる。

あのね、目の前の現実から逃げないこと、ただそれだけです。
・・・それは運命だ。そう思えば、乗り越えようとする力も沸いてくるだろう? ・・・ってね。



2月4日 「六甲山〜Drive to ・・・」
先日、神戸の夜景を見ようということになって六甲山に行ってきました。その日は神戸市内は雨。凍結が心配と言いつつも友人Yの運転する車に乗って、うねうねとした急カーブが続く山道をどんどん上っていくと、はやくも雪がちらつきはじめました。
六甲山は標高932メートル、神戸市の北に位置する六甲山系の中心です。
再度山方面から上っていくとランサーエボリューションを発見。あれはあきらかに峠を攻めに来ているようす。こんな雪の日によくやるよと思いつつも、なんだか気分はハイテンション(笑)。

ここだけの話だけど、わたしも若い頃、よくバイクで峠を攻めに行ったっけ。一般車のいない早朝とか夜間の時間帯を狙って近くの峠に走りに行くの。その当時はRZとかGSX-Rなんかのレーサーレプリカ全盛で、日曜日の早朝なんかに峠に行くと、前の晩から走りこんでた連中が道路わきの駐車場で寝てたりして、あれはあれでけっこう面白かった。警察の取り締まりも厳しくなってきた頃で、世の中に迷惑かけてたんだろうけどね。社会問題にもなってきた頃だったし、峠に行くと「命を大切に」なんて看板があったりしてね。
でもね、バイクでコーナーをクリアしていく快感がたまらなくて、どうしてもやめられなかった。キョーコはほかの男の子たちにくらべたら決して速いほうじゃなかったし、それどころか危なっかしくて仕方なかったらしいけど、それでもきのうの限界スピードを更新したりすると嬉しくてたまらなかったんだよね。本当にバイクに恋してたんだと思う。

もともとキョーコのうちは父親がバイクに乗ってて、わたしが中学生の頃は近くの川原で自由にバイクに乗らせてもらえたんだよね。そういう環境だったから、16才になったら絶対免許を取ろうと思っていたわけ。ところがその頃、持病の腎臓病が悪化して、それどころじゃなくなっちゃったんだよね。学校も休みがちになっちゃったし、人工透析寸前までいったんだけど、ある時を境に急速に回復してしまったの。そんなわけで、来る日も来る日も病院の白い壁を眺めていたっていう体験の反動もあったのかもしれない。

だから今でも峠を攻めるあの気持ちって共感してしまうんだよね。
たしかに命は大切だし、事故で死ねば痛い。わたしも何回かスピードの出しすぎでカーブを曲がりきれなくて崖から落ちてるからよくわかる(笑)。それに自分が死ねば、悲しむひとたちがいるわけだから。でも若かったあの頃は、まわりの気持ちまで考える余裕がなかったんだよね。
よく「あなたの命はあなたひとりのものじゃないよ」って言うけど、「わたしの人生だよっ!ほっといてくれ」って反発してたもん。
みんながみんな、キョーコみたいに好きになったら命懸ってタイプじゃないだろうから一概には言えないけど、自分の今この瞬間の生き方に納得できないうちは、本当の意味でまわりのひとのことって考えられないんじゃないかなって思う。わたしの場合はリスクもあったけど、それも含めてやりたいことを完全燃焼してからやっと最近になって、世間並みの常識というものが身についてきたかな(笑)。遅すぎる〜なんて言われてるけど。

にもかかわらず、夜の六甲の峠道を眺めていると、ふとあの頃のワクワク感に似た気持ちがよみがえってくるんだよね。
そんなこんなで、いつのまにか雪が本降りになってきて、オートマのノーマルタイヤはかなり苦しそう。路肩にはうっすらどころか、真っ白く雪が積もってる〜〜! もう完全に雪景色。タイヤもずるずるいきだした。さっきのランエボどうしたかな〜と思ってるうちに、ついにスタック。
ふと友人Yの顔を見ると、えらい余裕。
じつはキョーコはこういうヤバイ状況になると妙にワクワクを感じてしまうんだよね。必要なら外に出て車押そうかなとか(あとで重くて動かないよって言われたが)。ここで薮に突っ込むのもまた一興・・・なんてね。必要なら生かされるはずだからなんて。(Yさん、ごめんなさい〜。キョーコの道楽に付き合わされるなんて、さぞや迷惑でありましょう〜。)
道のど真ん中でハンドル切り返すこと数十回。
無事、雪道脱出。

神戸市内に戻ってから友人Yに聞いたところによると、じつはスタックしたとき内心JAFを呼ぼうかどうしようか真剣に考えていたんだそう。JAFを呼ぶ→電話番号が必要→電話番号がわからない→ひぇ〜かなりヤバイ・・・という思考が頭の中を駆け巡っていたそうで、本当にご苦労様でした。


1月30日 「白保のさんご礁と自然保護」
前回のトークで石垣島のさんご礁のお話をしたんだけど、あのあとさっそく白保のさんご礁について調べてみました。
トークを聴いていないひとのために簡単に内容を紹介するね。
与那国島に行った帰りに寄った石垣島の川平湾でグラスボートに乗ったんだけど、その時海底の砂の上に散らばっていた無数の白化したサンゴの残骸にショックを受けたというような話をしたんだよね。
石垣島といえば有名なのは白保の海にある北半球最大のアオサンゴの大群落やハマサンゴの大群落だよね。ところが数年前、白保地区に新石垣空港建設計画が持ち上がったんだけど、内外の反対のため県はいったんは建設を見合わせたという経緯があるんだよね。で、昨年、県が新たに出してきた案がカラ岳陸上案というもの。これは白保地区のそばにあるカラ岳のすそ野から白保の海岸線間近までを新空港建設地にするという内容だそうで、やはり空港建設にともなう赤土の流出などがサンゴに被害をもたらす危険性が高いのだそうです。

キョーコの素朴な疑問なんだけど、なぜ空港建設がサンゴに被害をもたらすのか? 
さっそく調べてみました。それによると粒子の細かい赤土が海に流れ込むと、いつまでも水中を漂っているため水中に差し込む太陽光を遮断してしまうんだって。すると植物プランクトンが死に、それを餌としているサンゴ(サンゴはご存知のように動物なのです)が死んでしまうというわけ。この説ははっきりと因果関係が証明されているわけではないけど、かなり確からしいです。で、この死んだ状態のサンゴを白化といいます。白化の原因は赤土のほかにも水温の上昇や台風などいろいろあるそうだけど、どちらにしても一度破壊してしまえば白保の海がもとの状態に戻るのに何百年もかかるというのが反対派の主張です。それに対して県側は、現在の石垣空港の滑走路は1500メートルと短いため、ちょっと気象条件が悪いと離着陸できないし、1回の輸送人数も150人と少ない。将来の観光客の増大を見込んで大型ジェット機が乗り入れ可能な空港を建設したいというわけです。
たしかに飛行機が天候に左右されるのは不便だよね。でも観光客はさんご礁も含めて石垣島の豊かな自然を見に来るわけだから、肝心の自然が破壊されてしまえば元も子もないような気がするんだけどなあ。これは海に潜って痛切に思ったことだけど・・・。 

(白保のさんご礁に関して詳しい事情を知りたい方は、リンク集に「八重山・白保の海を守る会」のHPがあるので見てみてね)

ところでキョーコは、じつは○○運動と名のつくやつが大嫌いなんですよん。たんにわたしが天邪鬼なだけかもしれないんだけど、ぜったい自分たちが正しいっていう態度のなかに強烈なエゴを感じてしまうからかもしれないなー。
これはもう十年以上も前の話なんだけど、その当時わたしは化学調味料等を一切添加しない、いわゆる無添加食品とか無農薬野菜というものにものすごくこだわっていたんだよね。値段はかなり高めなんだけど、本当に美味しいし健康にいいのも間違いない。そんなわけでスーパーなんてとんでもない、食材は近所の自然食品店でしか買わなかったわけ。
ところがね、ある日たまたまその店で食材を選んでいたとき、店のご主人と常連さんとの会話がふと耳にはいったの。
「やっぱり、無添加の味はいいわね」
「そうだよねえ。スーパーで売ってるのは化学の味だからねえ」
という会話だったんだよね。それはいつもわたしがそのご主人としている会話とまるっきり同じ内容。
その時、わたしは愕然としたんだよね。かれらの会話の中に、スーパーとかふつうの店で買い物しているひとたちに対する優越感と侮蔑の思いがはっきりとみてとれたから。それはとても醜い表情だった。
わたしはその時はじめて気づいたんだよね。自分もかれらと同じような顔をしていたんだろうなってことに。
そのときから、わたしはそういうものにこだわるのをやめたんだよね。
その当時の自分を振り返ると、食に対する意識は非常に高い。でもそこにこだわるあまり、それ以外のすべてを否定してしまう偏狭さと排他性が強かったなあ。そりゃ安全で美味しい食材が手に入ればそれにこしたことはないけど、それを買うことのできないひとたちの経済事情もあれば、本当は無農薬でやりたくても農薬を使ったにんじんを作らなきゃならない農家のひとの痛みだってあるわけじゃない? でもあの当時のわたしは、生きていくうえでのそうした悲しさとか痛みにまるで気づかなかった。ある意味で信念をもつ怖さって、そんなものを簡単に切り捨ててしまうとこにあるのかもしれない。

○○運動的な発想もどこか昔のキョーコの偏狭さに似てると思うときがある。だから、そーいうの嫌いなのかも・・・。もっと穏やかに、周囲の事情を受け止めながらゆるやかに変化していけたらいいのになあ。
なんにしてもサンゴたちが平和に生きていける世の中にしたいよね。

1月28日 「ミステリー×ミステリー 不動明王と弁天様」 
先日、伊勢神宮の忌火屋殿(いんびやでん)が火事で全焼したそうですね。さいわいケガ人はいなかったそうですが。
ちなみに忌火屋殿というのは神宮におさまっている神さまの朝夕の食事を調理する場所のことです。忌火というのは清浄な火という意味なのだそうです。その場所が全焼というのは、なんとも意味深いですね。
みなさんは、これをどう受け取りますか?
去年の暮れに「2003年のキーワード」でも書いたと思うのですが、今年は炎の龍・不動明王さまの波動が全面的に表にでます。炎はすなわち浄化の炎です。古い価値観にとどまることなく、己の心に素直に生きることが道であり、宇宙の真理に沿って生きることになります。
その意味では、不動明王さまもなかなかおやりになりますねぇ・・・といったところでしょうか。
キョーコは、なんだかワクワクしているんですよ。時代の転換期ほどおもしろしいものはないですからね。こういうときこそ、新しいアイデアが生きてきます。
そうそう、去年の暮れですが、水色の透明な光が新しい年(2003年)の気と一緒にはいってくるのを感じました。
水色の光・・・かぎりなく水に近い・・・弁天さまの波動です。
不動明王さまと弁天さま・・・火と水。
今年は不動明王さまが全面的にでると言ったばかりなのに、今度は弁天さま? と思っていらっしゃる方もいるかもしれませんね。順を追って説明しますね。
自分の心に素直に生きる。それを実践するために、ひとによってはごまかしがきかない厳しい状況に置かれます。不動明王の深い愛に裏打ちされた厳しさです。まあ、最初は苦しいかもしれませんね。悩み山積みってな感じでね。でも、それを乗り越えたとき、それぞれの道を見出すことができるでしょう。
そして、素の自分に戻ります。
素の自分・・・ありのままのしなやかな自分です。
これが弁天さまの導きの波動です。
ただ素の心に帰れ・・・と。
厳しさに裏打ちされたうえでの自己回帰ですからね。これは強いですよ。ただの自分勝手やわがままとは違います。自分自身を信じて生きようと思えば、時にはじっと孤独に耐えなければならないときもあるでしょう。・・・でも、たぶん必要不可欠なプロセスなんですよ。これを乗り越えたとき、きっと揺るぎない心が芽生えているはずです。
火と水・・・どんなに炎が激しく燃え上がっていても、その向こうには遠い原初の時からけっして絶えることなく流れ続けている透明な命の水がきらめいている・・・炎を乗り越えたとき、はじめて自分の中に満ちている透明な水の存在に気づく・・・。
キョーコがヒントを出せるのはここまでです。
なぜなら、この火と水の物語はひとりひとり違うからです。
だからミステリー×ミステリー。
炎の性質は?水の性質は?
あらゆることがヒントになります。そしてそれをただの机上の空論で終わらせず、ご自分の人生のなかで実践されてください。自分の心をじっと見つめてゆけば、必ず自分の内側から答えが見つかります。
直感とイマジネーションを働かせてください。
そして、ワクワクとドキドキで頑張ろうね!

1月26日 「与那国の夜」
与那国島から戻ってきてから今日で四日目。ようやくたまった仕事も片付いて一段落です。
さて、今回の旅行を振り返ってみて、いちばん印象的だったのはやっぱり与那国の海でした。
沖縄の島々はどこもさんご礁に囲まれたエメラルドグリーンの海が多いんだけど、与那国の海はどちらかというと厳しい感じがするかなあ。さんご礁が発達している石垣島や宮古島と違って、わりと流れがあるし黒潮の関係でなんとなく黒っぽくみえるような気がします。
そして天候によっては、100キロ先の台湾が水平線のかなたに見えること。わたしはじかに見ることはできなかったけど、写真で見てびっくりしたのは台湾の島影が水平線の右から左までいっぱいに広がっていて、その間にある海がまるで大河のように見えたこと。
両者のサイズをくらべたら当然といえば当然だけど、あまりの近さにつくづく国境の島なんだってことを感じました。

ちょうど与那国滞在中の17日が誕生日だったんだけど、なんだかずいぶん遠くまできたなあ・・・なんてしみじみと思っちゃった。
夕飯のあと、宿のまわりをぶらぶらと散歩したんだけど、本当に静かで波の音しか聞こえてこない。時折、キョロロロロってヤモリの声が聞こえてくるぐらい。
ヤモリっていえば、去年はじめて与那国島に来た日、部屋に入ったらヤモリが壁を這っていたんだよね。
あのときは絶句した。
もうフリーズ状態。なんせヤモリを見るのははじめてだったから。で、触る勇気もないから、見えないことにしようと思って無視していたんだけど、夜中にキョロロロロって鳴いてたから、たぶん一夜をともに過ごしちゃったんだと思う。翌朝になったら姿が見えなくなっていたけど(笑)。
人間ってすごいなって思う、ほんと。
だってあんなに怖いと思っていたヤモリにも馴れちゃうんだから。情がわくっていうか・・・(笑)。
そんなこんなで港のあたりをぶらぶらしながら、ふと夜空を見あげると雲の隙間からいつのまにか月が見えていた。
折りしもこの日は満月。
冴え冴えと輝く白い月をみながら、泡盛を飲むのもまたオツかな・・・なんて思ったんだけど、あいにくこの日の夜は講習の卒業試験。ようやく試験が終わって部屋に戻って、ちょっとベッドに横になっていたら、そのままぐっすり。
気がついたら朝だった・・・。