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Diary 1(2002年11月15日〜2003年1月21日)
1月21日 ただいま!
さっき与那国島から戻ってきました。不在中に叱咤激励・お問い合わせなど、たくさんのメールをいただきまして本当にありがとうございました。これから順次お返事を書いてゆきますので、待っていてくださいね。
それからダイビングのCカードですが、取れました〜!!
海底遺跡にも、もちろん触ってきました。
正直言って、ダイビングは面白い!! まさか、こんなにハマるとは思わなかったですよ。
与那国海底遺跡およびダイビングCカード取得レポートを数日中にまとめてアップしますので、楽しみにしていてね!
それから、やっと掲示板を設置しましたので、気軽に足跡残していてくださいね!
1月12日 夢と与那国島とシンクロニティ
いよいよ明日から与那国島にダイビングのCカードを取りに行ってきま〜す。お世話になるのはダイビングショップFrom Westさんです。
そもそも超初心者のキョーコがどうして与那国に行く気になったのか?
あれは去年の10月のはじめ頃だったかな。とても不思議な夢を見たんですよ。
エメラルドグリーンの海が目の前にあって、わたしは真っ白い砂浜にひとりたたづんでいるの。背後には青々とした草におおわれたなだらかな丘が続いていて、どこからか甘い香りが漂ってくるの。ふいにアングルが変わって、空から地上を見下ろしているんだよね。眼下に広がるエメラルドグリーンの海が、沖にゆくにしたがってコバルトブルーに移り変わってゆく光景、そして風に揺れる白いユリの花がやけに印象的だったの。
朝、目をさました時、妙にリアルな夢だなあと思いました。そう・・・なんだか懐かしくて、わたしはあの風景を知っているっていう感覚は確信に近いものがあったんだよね。
その後、何日かして与那国島の海底遺跡について調べようと思ってパソコンをあけた瞬間、夢の中の光景がバーっと浮かんだんだよね。
で、与那国島について調べたら、もーびっくり。
与那国町の町の花がテッポウユリ!
思い立ったら即行動。あの夢の風景は与那国島に違いないという、なんの根拠もない確信をたしかめるべく、去年の10月の末に与那国島に行ってきたというわけです。
宿はFrom Westさん。ここではグラスボートで海底遺跡を見に行くことができるっていうから、オーナーの田島さんに聞いてみたんです。ところがその日は運悪く、整備のため船を陸にあげちゃったって言うんだよね。残念・・・と思っていたら、田島さん曰く
「キョーコさん、グラスボートで遺跡を見るなんてチャチなことを言ってないで、潜ってじかに触ってこようよ」
「えーだって、わたしダイビングなんてしたことないよ」
「うちでCカード取ればいいよ」
「わっ・・・わたしにできます?!」
「できるできる。キョーコさんぐらいのパワーと根性があればだいじょうぶ」
なんの根性だ・・・と思いつつ、年明けなら飛行機のバースディー割引を使えば安く来れるな、なんて頭の中で考えているうちに、いつのまにか田島さんの甘い言葉にすっかりその気になってしまったキョーコです。
あ、そうそう。夢ですが、まさにビンゴ! やっぱり与那国島でした。なぜなのか・・・たぶんこの先、その意味がわかってくるのかもしれません。
というわけで、与那国島の海底遺跡を触りにいってきま〜す。
いちおう講習と実技の予定がぎっしりとつまっていて、首尾よくCカードが取れれば最終日に体験ダイビングで遺跡ポイントに潜ります。
果たして、キョーコは遺跡に触ってこれるのか?!
この続きは与那国から帰ってきてからのお楽しみ〜!
ではでは、行ってきます!
1月9日 夢分析ダイアリー版
Talkで夢についてお話したら、けっこう反響がよかったみたいで、ちょっと嬉しいキョーコです。というわけで、今日はDiaryでも夢のお話をしちゃおうと思います。
さてさて、Talkでもお話したとおり、夢は大きく分けて
1 生理的刺激や物理的刺激によって見る夢(刺激夢)
2 自分自身の心、つまり潜在意識や無意識の領域から引き出される夢(心的夢)
3 他者の意識によって見せられる夢(予知夢、テレパシー夢)
この三つがあります。(厳密には2と3は密接に絡み合っていて、そう単純には分けられないんだけど)
夢分析の対象になるのは、2の心的夢です。難しい言葉ですが、ようするに普段わたしたちが見ている夢と考えていいと思います。
さてさて、楽しい夢や嬉しい夢に関してはとくに解説はいらないと思います。
問題はイヤな夢を見た時。
たとえば指を怪我する夢とか、青虫が背中を這っている夢とかね。
夢占いの本なんかを読むと、あんまりいい暗示じゃないんだよね。キョーコが思うに、夢を占い的に使うのは消極的な使用方法のような気がします。
夢が潜在意識によって作られるなら、それは自分の内側からのメッセージなわけですよ。なぜわざわざメッセージをくれるかと言えば、もちろん潜在意識としては自分の乗り物である肉体をもった「ワタシ」を助けたいからにほかならないんだよね。ということは、あまりいい気分じゃないメッセージを送ることによって、「ワタシ」が現状の問題点に気づき、それを改善していい方向にもってゆくことを願っているわけです。
ちょっと回りくどい言い方になっちゃったかな? ようするに夢見が悪かったからといって、悪い事が起きるんじゃないかと考えるんじゃなくて、ちょっと立ち止まって、自分の状況を分析するファクターのひとつに夢を使うといいと思う。推理小説と同じで、手がかりは多いほど事件の解決が早いわけだからね。
そこでイヤな夢を見たときの具体的な対処法ですが、そのときの自分の状況によって違いがあります。
なにか悩みがあるなら、その悩みの内容と夢のストーリーや象徴的にでてくるモノを照らし合わせながら、パズルあるいは推理小説の犯人を捜す要領で謎解きをしてみてね。案外、悩みを違った角度から眺めることができるかもしれません。なんせ、夢は自分の本音を容赦なく映しだすもんね。
とくべつこれといった悩みを自覚できないのに、たとえば毎晩続き物の夢を見るとか、同じパターンの怪物に追いかけられるとか。
こういう場合、いちばん簡単なのは、朝起きて、「ああ・・・やな夢だった」って、どよ〜んとした気分でいるとします。ここでしっかり夢を思い出して、イヤな場面にきたら、そこで夢の内容を自分の好きな展開に作り変えてしまうのがオススメ。たとえばライオンに追いかけられていたとしたら、ライオンに立ち向かって手なづけてしまうとか。ライオンだと思っていたら子犬だったっていう具合にね。なんせ自分が納得できるハッピーな形に作り変えるのがポイント。そして「ああ、いい夢だった」って思うことです(笑い)。
こうすることで、潜在意識を作り変えるという作業をすることになるからです。
ようするに夢に支配されるんじゃなくて、夢をコントロールして味方につけろってことです。
というわけで、今日の標語
夢占い・・・夢売らない? イヤな夢は売ってしまおう(あ?)
1月6日 イメージ
日記の量も増えてきたので、Talkのページを新しく作りました。最初にあまり考えずにHPを製作していったので、今頃になっていろいろ苦労しています(苦笑)。
それにしても最近つくづく思うのは、わたしが自分に対してもっているイメージとまわりの人がもっているわたしのイメージってかなり違うんだなあってこと。声を聴いたり、おしゃべりしたことのあるひとは、わたしの実像とあんまりかけ離れたイメージはもたないみたいだけど、メッセージとか文章だけ読んでいる方のなかには、けっこうコワそうなヒトだと思っていらっしゃる方もいるみたいです(笑)。
つい先日、お客さんとお話していて、こんなことを言われてしまいました。
「キョーコさんって、もっとコワイひとかと思ってた〜」
「えーなんで?」
「だって、理路整然とした論理的な文章書いてるし。趣味がバイクと放浪だって言うし・・・」
・・・ありがとうございます。
Talk聴いてくださいね(泣)。
もう少し柔らかい印象だと思いますので(笑)。
いろんなヒトのキョーコ像ってのがあって、それはそれなりに面白いんだけど、こないだなんて、
「やっぱり、アレですか。神さまとお話するときはキリっとした巫女さんの格好してるんですか?」
・・・してません。ていうか、神さまとお話なんてほとんどしないですよん。大根切りながら光を感じることはしょっちゅうですけど、それが日常になってしまっているので特別なことなんて何もないんですよ。
・・・そんなもんです、ヒーラーの日常なんて。
ふと思ったんだけど、宗教団体なんかのカリスマ的な教祖さまは、こんなふうに周りの人間に勝手なイメージを投影されながら、いつのまにか本人もその幻想から抜け出せなくなってゆくのかもしれません。だって心地いいもん。まわりからチヤホヤされて祭り上げられたら。この誘惑に打ち勝てる人間なんて、そうそういないような気がする。功名心や優越感っていうのは、人間のいちばん弱い部分かもしれないよね。
さいわいキョーコのまわりには、キョーコがふらふらっと誘惑に負けそうになると、思いきり地上に引き摺り下ろしてくれる親切な(?)友だちがいっぱいいるので、ほんと感謝してます(笑)。
2003年1月4日 産土神社
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
さて三が日も過ぎ、そろそろ通常モードに移行しつつあるキョーコですが、みなさんはお正月はどうすごされたでしょうか。キョーコは三日間、田舎の実家で過ごしました。田舎のお正月っていうのは親戚が遊びにきたりして、なんやかんやとひとの出入りが多いんですよね。あー疲れたって感じです(笑い)。
ところでお正月といえば初詣。初詣といえば、神社と相場がきまっていますが、神社っていうのは場所によっては一種のパワースポットになっていますよね。土地そのものの波動が高かったり、そこにおさまっている神様の波動が高かったりと、まあいろいろですが、どちらにしてもそこを訪れることによっていい波動を受けることができるわけですよね。もちろん中身が空っぽの神社もありますよ。建物ばっかり立派だけど肝心のご神体がはいっていないとかね。逆にちいさな神社でも、すごく高い波動の神様がいらっしゃる所もあります。
キョーコは何年か前までは神社なんてまったく興味がなかったんですよ。形式とか儀礼的なものが大嫌いだったし、だいたい神社に行かなくても、いつも神様がそばにいらっしゃるのを感じていたから、神社に行く必要性を感じなかったんです。
ところが、ちょうど二年前になりますが、母方の祖父が亡くなりまして、お葬式のために生まれ故郷の北海道に行ったんですよ。キョーコが北海道に住んでいたのは、たしか幼稚園の年中組くらいまでで、そのあとは2、3年に一回ぐらいの割合で祖父母の家に遊びに行くような感じでした。おとなになってからは、もうすっかり足が遠のいていたんです。
そういうわけで、ひさしぶりの生まれ故郷というのもあったんですよ。お葬式もとどこおりなく済み、やっと身内でほっと一段落したとき、叔母が近くの神社にお礼がてらおまいりに行くと言うので、何の気なしに私もついていきました。祖父の家から歩いて20分ほどのところにあるんですが、ふだんは神主さんもいない小さな神社です。
雪道をとことこと歩いてゆくと、瑞垣も何もない真っ白い雪におおわれただだっ広い敷地の中に、ぽつんとちいさな社殿がありました。よく晴れた真っ青な空ときらきらと輝く白い雪のコントラストが絶妙で、おまけに神社の千木の先端に陽射しが当たり、強い光を放っていました。
キョーコは思わず息をのみました。予想外に、神気とでもいうのかな・・・そういう強烈な波動を感じたからです。社殿に向かって目を閉じると、眩しいほど強い光が入ってきました。そして胸の奥からこみ上げる懐かしさと喜びと・・・間違いなく高い神のみが持つ波動です。
それまで旅行とかお付き合いで神社に立ち寄ることはあっても、これほど強烈な神気を感じた神社はなかったんですよ。それ以後、今に至るまであれほどの波動をもった神社なんて数えるほどしか知りません。本当にびっくりしました〜。
考えてみれば、そこはキョーコの生家の近所で産土神社だったんですよ。ご存知の方も多いと思いますが、産土神社というのは、生まれた土地の土地神様のことで、その土地に生まれた人間を生涯庇護してくれると言われています。あかちゃんのお宮参りなんかは、本来はこの産土神社に行くらしいです。キョーコは、そういう知識はなきに等しいのですが(苦笑)。
幼い頃、お祭りで敷地に入ったことは覚えていても、お参りをした記憶なんてないんですけどね。すくなくとも引っ越してからは一度もないと思います。だから、こんなに波動の高い神社だったなんてぜんぜん気づかなかったんですよ。
おまけに・・・その日は、1月17日、つまりキョーコの誕生日だったんですよ。
まるで呼ばれたとしか思えない。目から鱗というんですね、こういうのは・・・。
それからは、お呼ばれした時には素直に神社に参拝にいくようになりました。
ちなみに、ここは苫小牧市勇払のえびす神社です。昔は厳島神社と呼ばれていたのですが、紆余曲折があって現在はえびす神社という名前に落ち着いたようです。でも間違いなく強烈な弁天様の波動を感じます。もともとこのあたり一帯が湿地帯で水の気の多い場所だからでしょうか。それに面白いのは、この近辺はUFOがけっこう出没するらしいです。最近はどうか知りませんが・・・。おまけに、勇払の語源はアイヌ語でイ・プツ・・・「それの入り口」という意味なんですよ。うふふ・・・なんか意味深で、ちょっと面白いでしょ。
ご近所の方はお暇なときにでも行ってみてください。無名の本当にちいさな神社だし、観光地でもなんでもないので文字通り何もありませんが、きっといい波動をいただけると思います。
12月31日 大晦日
こんばんは。
みなさん、もう年越しそばは食べましたか?
キョーコは、今日は朝からずっとおせち料理を作っていまして、さっきようやく一段落しておそばを食べたところです(笑い)。
あと3時間もすれば、新しい年がやってきますねぇ。おまけに、東京は明け方から雪だっていうし・・・。北海道生まれのキョーコは、雪を見ると無条件にワクワクしてしまうんですよん。ただでさえ大晦日でワクワクるんるんしてるのにね。日本酒飲みながら、除夜の鐘をきくっていうのも風流でしょ。
除夜の鐘っていえば、もうずいぶん昔の話になるんだけど、大晦日にその当時まだ付き合っていた彼の実家に泊まりにいったことがありました。
けっこう親戚やら兄弟やらが集まっていて、みんなもうすっかり酔っぱらってるんだよね。11時を過ぎた頃、突然義兄さんが「鐘をつきに行こう」って言い出したんだよね。
外は寒いし、みんな酔っぱらってるし、だいじょうぶかなあと思いつつ、近所の氏神様までぞろぞろとみんなで行ったわけ。
いなかだから圧倒的に街灯の数が少なくて、夜が夜の色をしているんだよね。真っ暗な空に無数の星が瞬いていて、歩くたびに吐く息が白いの。氏神様は町外れの小高い丘の上にあって、そのすぐ向こうに黒々とした山並みが続いているんだよね。
歩いていると、町のひとがつく鐘の音がゴーン・・・ゴーン・・・と聴こえてくるわけ。
ああ、年が明けるなあ・・・なんて感慨に浸りながら氏神さまの石段を登っていくと、すでに何人か先客がいました。
すっかり出来上がってる義兄と義父としらふの彼。
「よし、つくぞぉ」
すでに義兄さんは足もとがおぼつかない。
「おい、兄貴。だいじょうぶか」
「おう」
すっかりその気になっている義兄さんがそう言って、石段をずんずん登ったまではよかったんだけど、なんせ酔っぱらってたからね。
いちばん上まで上ったところで、よろっとつまずいて・・・そのまま
・・・・・ゴンゴンゴンゴンゴン・・・・・・
大晦日の町はこうしてふけてゆきました・・・。
今は懐かしい思い出です。
12月29日 2003年のキーワード
さて今年も残すところ、あと二日となりましたね。
みなさんにとって、今年はどんな年だったでしょうか。大きく飛躍した方や苦い思い出を胸に噛みしめている方などさまざまだと思います。
振り返ると、昨年に端を発した同時多発テロに関連してアフガニスタン空爆、イスラエルのパレスチナ侵攻、ワールドカップ、印パ戦争の危機、北朝鮮の拉致疑惑と核、そしてイラクの大量破壊兵器問題など、本当に大きな動きのある節目のような一年でしたね。
こうした一連の動きは新しい文化や社会を作るための生みの苦しみなのだろうと思います。まだ暗中模索状態のようにも見えますが、混沌のなか、すでにちいさな希望の光があちこちで生まれはじめているように感じます。それは、ひとりひとりのちいさな気づきや心の変化として現われているのではないでしょうか。苦しみや悩みの渦中にいる方は、新しい時代の波に乗るための避けられない試練だと思って、どうぞおもいっきり悩んでください。その苦しみのなかから、新しい時代に適応できるあなた自身が生まれます。また幸せの絶頂にいる方は、どうぞその幸せに執着することなく、素直に喜びをかみしめてください。
大切なのは次々に変化してゆく状況を、ありのまま受け止めるということです。痛みは痛みとして、喜びは喜びとして、すべてを自分自身の成長の糧にしてください。それが、変化の時代を乗り切るコツです☆
昨日、瞑想中に新しい年のビジョンを見ました。
予知としてではなく、来年を乗り切るためのコツとして聞いてくだされば幸いです。
混沌とした闇の中・・・「創造」という文字・・・炎の色をした巨大な龍の姿・・・「道・理」・・・
これが瞑想中に見えたビジョンです。これだけじゃ何のことかわからないと思うので順番に解説しますね。
混沌してた闇のなかで、創造という文字が見えたことについて。
時代が混迷してゆくなか、いくつかの古い価値観が崩壊してゆきます。そういう時にこそ、新しい価値観や文化が生まれる可能性があるということなんです。そして、これは、個人個人がこの時代を乗り切ってゆくための大きなヒントでもあります。
社会の古い価値観が揺らぐなか、自分は何をしたいのか、何が好きなのか、どんなふうに生きてゆきたいのかということを真正面から見つめてください。もしかしたらあなたの心の中にある感情は、これまでの社会の常識と真っ向から対立するものかもしれないし、とても今の自分には不可能なことのように思えるかもしれません。でも本当に心からあなたが望むなら、どんなささいなことでもいいのです。
一歩、踏み出してみてください。
たとえば不倫だからやめなきゃと思っていた恋愛。人間は同時に何人も愛することのできる可能性を持った生き物です。大きな視野に立ってみんなが幸せになれる愛し方を模索することだってできます。あきらめかけていた夢・・・その道で生活することだけが、その夢の実現ではありません。情熱を忘れなければ、もっといろんな形での表現方法が出てくるはずです。
社会や世間の目にとらわれることなく、自分の心に正直に生きることがポイントなんです。
そして、そうした個人個人のちいさな変化が新しい文化のちいさな息吹のひとつとなり、やがて大きなうねりを生み出します。時代の波に乗るのではなく、ひとりひとりが時代の波を創ってゆくという発想の転換が大事なのではないかなと思います。
自分の素直な心の声、そうした思いから始まった行動はすぐには形になりません。新しいこと、斬新なアイディアならなおさらです。けれど2003年に蒔いた種はいずれ大きな手ごたえとなって返ってきます。
そして、自分の心に沿って生きることが、すなわち宇宙の真理にかなうということです。それが炎の龍(キョーコには不動明王のイメージなんですが)のあらわす道・理なのではないかと思います。この炎の龍があえて表に出たことの意味はとても大きいと思います。これまで以上に、宇宙の真理・人間の本質といったものに沿って生きることが要求されるからです。逆にいえば、ごまかしが通用しなくなるということです。トラブルにあったとき、自分自身の心を偽っていないか確かめてみてください。二者択一を迫られたときは、世間体ではなく自分の心を基準に選択してみてください。龍王さまたちが、きっと力をかしてくださるはずです。
社会の常識なんて、時代によってどんどん変化してゆきます。だから、何もおそれることはありません。それよりも、自分自身の魂の喜ぶ生き方を模索してみてくださいね!
では、よいお年を!
PS Kyoko's talkは今週はお休みです。そのぶん日記のほうはこまめに書くつもりでいますから、お正月の暇なときにでも読んでやってくださいね!
12月22日 クリスマスって・・・
こんにちは。
クリスマス商戦たけなわの毎日ですが、お元気ですか。
さて、クリスマスっていうと、みなさんはぱっと何を思い浮かべますか?
よくうちに遊びに来る小中学生とおとな数人に聞いたところ、こんな答えが返ってきました。クリスマスツリー、サンタクロース、ケーキ、プレゼント、鈴・・・・・おいおい、何か忘れてない?
あ、物入りで頭が痛い!
違うって。クリスマスっていちおうイエスさまのお誕生日でしょ。
そー言われてはじめて気づくひとって、けっこう多いんじゃないかなあ。
でも、まあ、考えてみれば、熱心なキリスト教徒が少ない日本ではクリスマスのイメージなんてこんなものなんですよね。
うちのいなかなんて、クリスマスだからケーキを食べようなんて言って、近所のスーパーでクリスマスケーキを買ってくるわけ。で、居間に仏壇と神棚があるんだけど、
「今日はおめでたいから、仏さまと神さまにもケーキをお供えしなきゃ」
とかなんとか言って神棚と仏壇にクリスマスケーキとなぜかシャンパンをお供えして、メリークリスマスなんて言ってるんだから。
いーかげんっていうかおおらかっていうか・・・・・。でも、こういう精神構造って、じつはものすごく貴重なのかもしれない。いまだに民族戦争という名を借りた宗教戦争を継続している国がいくつもある中で、とりあえず、イエスさまもやおろづの神のおひとりに加えてしまうという、その柔軟な発想(?)はすごい。
お釈迦さまもマホメットもイエスさまもアマテラスさまも、それから台所の神さまにも、
とりあえず Merry Christmas!
☆年末年始のお休みのお知らせ☆
12/29〜1/4までお休みです。新年は1/5(日)より通常営業いたします。
12月13日 遭遇
こんにちは。
そろそろクリスマスが近づいてきましたね。キョーコはキリスト教の信者でもなんでもないのですが、どうもこの季節になるとワクワクしてしまうんですよね。さて、クリスマスの立役者といえば、なんといってもイエスキリストさまですよね。
もう半年以上も前の話になるんですが、友だちからちょっと不思議な話を聞きました。
彼女には自転車で5分ほどのところにある保育園に通っている息子がいます。その日も(季節は春)、お迎えに行くために、自転車で田んぼのあぜ道を走っていました。すると突然目の前に、金色の光に包まれて、茶色の髪をした痩せた男性の上半身がふわっと現われたんです。彼女は直感的にイエスキリストだと思いました。突然のことで思わずコケそうになりながらも、そのなんともいえない慈愛に満ちたあたたかな波動をはっきりと感じました。空中に現われたキリストさまの姿はほんの2、3分でふっと消えてしまったそうですが、その後しばらくのあいだ、ずっとキリストさまのあたたかな波動を感じていたそうです。
彼女はキリスト教なんてまったく興味がないうえ、昨今ではめずらしいぐらい日本古来の文化や伝統的なものが大好きな生粋の日本人(?)です。銀杏の木と話したり、龍を感じたりという感性はもっていますが。そんなわけで、彼女にしてもみれば青天の霹靂のような遭遇だったわけです(笑い)。
キョーコはじつに興味深い出来事だなと思います。もともと神話や伝説の世界というのは、その国固有の文化に根ざしたもののように見えて、じつは世界共通の深層認識、あるいは忘れ去られた事実が隠されている場合が往々にしてあるのではないかと思っています。
たとえばギリシャ神話にでてくるオルフェウスの話。竪琴の名手オルフェウスが亡くなった妻ユウリディケを取り戻すために冥府にゆくという物語は、どこかで聞いたことがありませんか? そうです。古事記にでてくるイザナギが妻イザナミを取り戻すために黄泉の国に赴く話とそっくりですよね。アンドロメダ姫を助けた勇者ペルセウスの物語も、やはり古事記のスサノオノミコトとクシナダヒメの物語と似たようなモチーフですよね。
もしかしたら遙か古代、世界はひとつだったのかもしれませんね。もともと民族や文化・宗教の違いなどなく、誰もが大地と空を感じることのできた時代。時がたち、世界はこんなにも細分化されてしまったけれど、ひとつだった頃の名残が神話という形で残っているのかもしれません。そう考えると、キリスト教とまったく無関係な彼女がキリストさまを感じたのは深い意味があるような気がします。宗教という狭い枠で人間を見ることそのものが大きな偏見なんだよと、キリストさまは伝えたかったのかもしれません。
それにしても・・・。
もうすこし、ましなシチュエーションでご登場願えなかったのでしょうか(笑い)、キリストさま?
Kyoko's Talk 次回は12/17(火) 「A boy meets a girl・・・黒龍物語」をアップの予定。お楽しみに!
12月1日 高尾山
今日から12月ですね。いよいよ今年もあと一ヶ月を切りましたねー。最近一年が過ぎるのがとにかく早い。クリスマス、お正月、そしてすぐキョーコの○回目の誕生日がやってくる。子供の頃みたいにワクワクしながら誕生日を待つ年はとうに過ぎてしまったんだけどね。
そうそう、きのう近所の高尾山に行ってきました。ひさしぶりの山道はけっこうなんてもんじゃなく、メチャしんどかったです。東京近郊の方はご存知の方も多いと思うけど、高尾山は標高600M(たしか、そんなものだったような・・・うろ覚え)、奥多摩や陣場山に続く山地の端っこに位置していて、都心から近いこともあって、手軽に楽しめるハイキングコースになっています。リフトもケーブルカーもあるけど、登山口からてくてく登っても山頂まで2時間も歩けば到着します。
そんなわけで、タカをくくっていたのがまずかった。登山道に入っていくらも歩かないとこに、琵琶滝という修験者さんの修行場があるんだけど、そこの裏手に山頂へという看板があったんだよね。どうせなら近道していこうなんて、考えたのがいけなかった。その道がまた、とんでもなく急坂で、山登り経験ゼロのキョーコにはまさに登山そのもの。息をきらしながら、登っても登っても山頂に着かないの。そういえば近道とは、ひと言も書いてなかったと気づいた頃にはあとの祭り。楽しようなんて考えずに、素直にハイキングコースを歩けばよかったと後悔しきり(泣)。
ふだんの運動不足がたたって、ゼエゼエいってるキョーコの横をお年寄りの団体が「お姉ちゃんがんばってな」とか言いながら、すいすい追い抜いていくの。最近のお年よりは元気だよね、まったく・・・などとブツブツ言いながらも、やっと中間地点に到着。ここはリフトとケーブルカーの終点になっていて、地獄の登山道は終わり。ここから山頂までは薬王院というお寺の参道をのんびり歩けば到着です。スイスイ移動していくリフトを眺めながら、楽しようと考えた自分の浅はかさを反省。
お茶屋さんでお団子食べて元気を取り戻しつつ、そういえば、うんと若い頃はよくここの味噌おでん食べながら除夜の鐘を聞いたよなーなどと、ちょっぴり感慨にふけったキョーコでした。
この日の高尾山の空には、まるで龍の腹のようなうろこ雲がかかっていました。帰り道、高尾山の空を振り返ると、大きな緑色の龍が笑ってました。
「ほんと、馬鹿やなぁ・・・」
って、なぜか関西弁でそう言われたような気がしたけど、これってキョーコの気のせいかな?(笑い)
11月20日 トークコーナーアップ♪
キョーコのおしゃべりコーナーをアップしました。
BGMがないのが難点ですが、その時々で思ったことやおもしろいと思った出来事などを
気ままにお伝えしてゆけたらと思います。
聴いてみてね!
11月15日 はじめまして
こんにちは。ヒーラー兼案内役のキョーコです。
これまで身近なところで地道に活動してきましたが、音楽担当のRuquiarとの出会いによって、HPという新しい世界で自分たちの思いをより多くのひとたちに伝えてゆけたらいいなと思って、このHPを立ち上げました。
潜在意識の使いかたやセルフヒーリングの方法など、キョーコの知っていることが少しでも、みなさんのお役にたつなら、こんなに嬉しいことはありません。カウンセリングやヒーリングのお問い合わせはもちろん、曲や絵の感想など気軽にメールしてください。
音楽と絵は随時アップしてゆくつもりでいます。
まだ手さぐり状態ですが、ワクワクするような新しい何かをみなさんと共有できたら最高に幸せです。